日本のシンドバッド
 

【リビア篇 その2】
 

タラブルス滞在後、せっかくリビアに来たのだから別の町にも足を伸ばしてみようと、南部の中心都市セブハに向かうことにする。交通手段にはバスと飛行機とがあるのだが、その料金はほとんど違いがなかった。いくら産油国でもここまで安くていいのかなと思いつつ、やはり短時間で移動できるフライトを選んだ。それにしてもリビアの空港では荷物のX線チェックも金属探知機を使っての検査も行われず、皆夜逃げのようなおびただしい量の荷物をノーチェックでどしどし運び込んでいた。機械はおそらく故障でもしていたのだろうが、こんなことでいいのかどうか……

当時、貧乏学生バックパッカーだった私はずうずうしくも「あー。こんな時にお金持ちの人と仲良くなれたらな」などと思ったりしていたが、願えば叶うものなのか本当にお金持ちの人と知り合うことに。空港の待合室でボーっとしていたらある男の人から「君はどこから来たのだね?」と声を掛けられ、いろいろ話をしてみると彼−ムハンマドは経済制裁下のリビアの闇貿易商で、取引先の中国からちょうど故郷であるセブハに帰る途中とのことだった。「もしホテルが決まってないのなら、是非ウチにきてくれたまえ。とても大きいから問題ないよ」との言葉に最初はちょっと迷ったものの、せっかくの機会なので甘えさせてもらうことにした。実際、彼の家を訪ねてみると、大邸宅がドン!ドン!と建ち並んでいるのだ。私はそのうちの別邸に住まわせてもらうことになった。「自分の家だと思って自由に使っていい」と言われたが、あまりのだだっ広さに自分一人だけというのも落ち着かないものである。衛星のテレビはあってもなぜか音声が入らず、イタリアかどこかのサッカーの試合をボーっと見たりしていたが音が無いとどうもエキサイトしない。

家の中に一人でいる時はとても退屈だった。そんな中での一番の暇つぶしはなんといっても長電話で「日本の家族や友達と離れて寂しいだろう?さあ好きなだけ電話をかけなさい」と勧められるままに日本へ電話をかけまくった。あの時はいったい何時間日本に電話をしたのだろう。電話代もバカにならなかったと思う。ムハンマドはなにかと忙しそうだったが、時間があると昔カダフィ大佐が暮らしていたという小さな家やら、彼自身の所有する別荘・農園などに連れて行ってくれたものだ。そして砂漠にも行ってみたいと言うと、わざわざ旅行会社でツアーをアレンジして送り出してくれた。そのお金も彼が全部出してくれたのだが、ツアーで一緒になったドイツ人夫婦に「いくら払った?」と聞かれ、「友達が全部払ってくれたから知らない」と答えると「なら知らないほうがいいかも。このツアーはとても高かったからね……」とのことだった。一週間ほどお世話になり、今度はセブハからアルジェリアとの国境の町、ガダーミスに行くと話すとそこまでの飛行機のチケットまで買ってくれた。さすがにここまでされると心苦しくなるもので「私もいくらか払わないと」と言っても「君はゲストなのだからお金を払う必要はない。それより充分な持ち合わせはあるのか?」など更に気を遣われ、結局セブハ滞在中は1ディナールもお金を使うことはなかった。今振り返ると、彼が私をもてなしてくれたのは旅人に対するサダカ(任意の喜捨)であり彼の気前よさの表れだったのだと思う。これこそまさにアラブ人の心の鑑なのだといえよう。ムスリムとなった今、旅先で多くの施しを受けたことは自分の生き方の一つの見本となっている。

執筆:石和田 宏志
アラブ・イスラーム学院学生

                

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