日本のシンドバッド
 

【イラク篇 その2】
 

バスラはイラク国内で3番目に人口が多い都市だけあり、町の規模も大きくとても賑やかだ。3月半ばの天気は曇りがちで、時折雨もぱらついていた。ドバイから比べると随分涼しく感じられる。真夏になると気温が40度以上まで上がるとは想像もつかない。蛇足だが世界最高気温、58.8度を記録したのはここバスラとのこと。

そんなバスラの市街地に行くとスークには意外に物が豊富にあり、ぱっと見た感じそれほど貧しいという印象は受けなかった。立ち寄ったファラフェル屋では「いやあ、外国人なんて久しぶりに見た。いやいや。お金なんていらないよ」といった具合に、タダでもらってしまったくらいだ。もっとも、ひとつ10円、20円のレベルの話であり、こちらとしては彼らの生活のためにもちょっとはお金を使いたかったくらいだが、1度言い出すと頑として譲らないのがアラブ人。感謝して好意に甘えさせてもらうことにする。

しかし正直、バスラでは特にやることがなく、1日滞在しただけで退屈になってしまった。そもそも地図もガイドブックもない上、アラビア語もあまり分からないのだから無理もない話だ。また泊まった宿の近くに酒屋を見つけたことは少々意外だった。ハイネケンのビール、500ml缶が2ドルもしなかったと記憶している。そしてここで一番大変だったのは物乞いの子供たちに絡まれたことで、施しをするかしないかは自由意志であるものの、何人もいるうちの1人にだけといったら喧嘩になってしまう。そういったこともあり相手にしなかったのだが、しつこく「マネー、マネー」とつぶやかれ、さすがに不愉快な思いをした。また人間貧しい暮らしをしていると心まですさんでしまうのか、可哀相なことに彼らの眼差しは今までに見たことがないほど卑しいものだった。しかしこれには理由がある。国が国民の生活を保障できない現実、根底にあるであろう貧しさ。あるいは彼らの中には湾岸戦争の戦災孤児もいるかもしれないわけである。そういったものを保護する組織がなんら機能していないのだ。この子供たちには何の罪も無いのに生理的嫌悪を感じてしまい、自分の度量の狭さにはただただ呆れてしまう。もっと広く、大きな心で彼らと向き合うことができたら……あれから2年が経ち再び戦禍に巻き込まれた彼らはいったいどうしているのだろう。

さて、
しばらくして重要なことに気が付く。外国人登録をしなければならず、それはバグダードに行かないとできないとのことだった。早々にバスラを離れ北上し、途中「ウル」の遺跡を見るためナッシリアに立ち寄る。ここでは子供たちからの投石攻撃に遭い、危うく怪我をしそうになった。外国人があまり訪れない地域では石を投げられるというのは決して珍しくはなく、それは排斥というよりか自分たちに興味を持ってもらいたいというサインのようだ。しかしなんといっても石。ましてや子供となると加減を知らず、本当に大きな石を力任せにぶん投げてくることもあり、充分注意しなければならない。またこの町からバグダードに向かおうとした際、バスターミナルで見事に警察に捕まり、署まで連行された時はかなり緊張したものだ。しかも丁度カメラで写真を撮っていたので「あぁ…スパイ容疑で拷問にでも掛けられるのだろうか」などという考えまで浮かんでくる。まあしばらくやりとりして釈放はされたのだが。これを皮切りにイラク滞在中はしょっちゅう警察に連れていかれ、その度に「またか」という思いをするのだった。

バグダードはカイロに次ぐ中東随一の都市である。ただ湾岸戦争後、経済制裁の名において鎖国状態を強要されているためか、全体的に古めかしい感じがした。特に車に関してはかなりのオンボロをしばしば目にしたものだ。それに対し道路の整備だけは行き届いていてとても対照的だった。

それにしてもここで困ったのは、外国人は外国人宿泊許可の下りているホテルにしか泊まれないということで、そういった宿はたいした設備もないのに一泊50ドルもする。入国の際大枚はたいて懐さみしい身としてかなり無理のある金額だ。結局初日は仲良くなった地元民「アラー」のお宅に泊めてもらうことにした。一般イラク人の家庭も今まで訪れたことがあるシリアやエジプトと変わらず、異邦人である私を温かく迎えてくれた。おしゃべりは深夜まで続く。しかし寝たのが夜中の2時でも朝6時にはちゃきちゃき動き出し、彼らの睡眠時間の少なさには本当に驚かされる。アラーの家を出てからはひたすら宿探しである。20軒以上あたってみたがどこも断られ、ほとんど諦めかけた頃にようやく潜りで泊めてくれるというホテルを見つけ、そちらに移ることにした。

執筆:石和田 宏志
アラブ・イスラーム学院学生

                

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