日本のシンドバッド
 

【イラク篇 その1】
 

私がイラクに行ったのは2001年の春である。当時あちこちのアラブの国々を渡り歩いていた身にとっては非常に興味深い国であった。湾岸戦争が起こり、その後も経済制裁が続けられている。そんな国で人々はどのように生活しているのか。行くにしても、まず入国の許可がされないことには始まらない。通常なら大使館でビザの申請をし、それを取得してから行くというのが筋であるが、報道関係の仕事をしているわけでもない、一介の旅行者の私にそう簡単にビザが発給されるとも思えなかった。

そこで考えついたのが、直接イミグレーションに行って交渉するということだった。それもあまり一般的でない、イラク南部の港、ウンムカスルから。船はドバイから出ているという情報があったのでドバイ港に行きイラクまでの船を探すだけでよかった。ドバイからウンムカスルまでは1日半くらいの行程だったものの、途中で船内食にあたってしまいずっと船室でのたうちまわっていた。しかもまあ見知らぬ地に独りで向かうというのに、身体を壊すというのはなんとも不安なことである。これがもし変な病気だったらイラクに着いたとしても、ロクな治療も受けられないだろうしどうしよう…など、こういう時にはどうも悪い方へとどんどん考えてしまう。幸い、船が港に到着する頃にはそれも収まりなんとか動けるようになったのだが。

イラク側のイミグレーションでは私のような旅人がひょっこりと現れるのは予想外の出来事だったようで、何人もの役人がああでもない、こうでもないと話し合っている。せっかくここまで来て「やっぱり入国許可はできない。乗ってきた船で戻りなさい」とだけはなって欲しくなかった。船代は無駄になってしまうし、UAE(アラブ首長国連邦)を出国してしまった今となっては追い返されても行く場所がない。どこの国のビザも持ってないのだ。しばらくして申請書を渡されイラク人の列に加わることができた時は緊張感と期待の入り混じった複雑な気持ちだった。また血液検査が行われたのだが、採血の際に血管をぐりぐりとえぐられるのには参った。痛いだけでなく、血管が破裂したらどうしようかとひやひやものである。彼は本当に医者だったのだろうか。結果的にはビザが取得できて、入国スタンプもドン!と押してもらえたものの、入国の際にかかった費用はなんと400ドル近く。ビザ代50ドル、血液検査代50ドルというのはともかく、なぜか銀行に200ドルを払わなくてはならなかった。出国税ならぬ、入国税だったのだろうか。とにかく揉め事を起こして追い返されるだけはイヤだったので、ほとんど彼らの言いなりである。書類にサインをしてもらうのに10ドル、採血の際に10ドル・・・最後のパスポートを受け取る時にはとうとう100ドル札しかなくなってしまい、さすがにそれを渡すことはできず、いくらかのイラクディナールを笑顔で握らせなんとか切り抜けた。

こういう習慣はよろしくないことだが、地元イラク人も払っていたので止むを得ないことなのだろう。さて。そのイラクディナールを始めて両替した時のことである。100ドル札しか持たない私がそのうちの1枚を銀行で「100ドルをイラクディナールに両替して欲しい」と頼むと、窓口の係員はちょっと驚いた顔をして「本当に100ドルを両替するのか?」と念を押すように聞き返してきた。この時いやな予感がしたのだがとりあえずは「イエス」としか答えられず、しばらく待たされた後に差し出されたのは700枚ほどの札束だった。当時のレートは1ドル約1700ディナール。最高額紙幣が250ディナールだったので、1ドルにつき約7枚という計算になる。買い物の際だけでなく、普段の持ち運びからして不便極まりない。

なんとか入国許可が下りた時には、地元イラク人達は皆とっくに手続きを済ませており、税関には荷物台に私のバックパックが一つ放り投げられているだけだった。税官吏も見当たらず、「まあいいか」と荷物検査も受けずに入国してしまった。タクシーを捕まえ、目指すのはイラク南部の中心都市バスラ。これから1ヶ月近くに及ぶイラク滞在が始まるのだった。

執筆:石和田 宏志
アラブ・イスラーム学院学生

                

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