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【アルイドリースィー】
 

1.出身と学問的背景:

アルイドリースィーは、アンダルシアが生んだ著名な地理学者の一人です。その名をムハンマド・ビン・アブディッ=ラー・ビン・イドリースといい、西暦1100年にアンダルシアのセウタで生まれ、1165年に没しました。預言者ムハンマドのいとこであり、またその没後は4代目のハリーファとして当時のイスラーム国家を率いた、アリー・ビン・アビー・ターリブの家系である「貴家アルイドリースィー」の一人として知られています。彼はアンダルシアで生まれ育ち、教育を受けました。コルトバが学問や文化の都であり、当地にあらゆる学問の徒が集っていた時代です。

アルイドリースィーは旅と詩作を好み、地理学と文学を熱心に学びました。16歳に満たない頃から多くの地域や国々を訪れたと言われ、彼の有名な地理学書の一つ「世界横断を望む者の楽しみ」には、小アジアやポルトガルの首都リスボン、またフランスやイングランド沿岸地域などを旅したと述べられています。

2.学問的業績:

アルイドリースィーは多くの旅の後、西暦1138年に航路による旅に出かけました。その旅については余り多くのことは知られていませんが、最終的に当時ノルマン帝国の首都であったシチリアの北部に位置するパレルモに到着したと伝えられています。そして国王ルッジェーロ2世に招かれて、パレルモの王宮で暮らしました。
アルイドリースィーはルッジェーロ2世の学問への奨励と支援を受け、自らの手で集めた貴重な情報を記した前述の書「世界横断を望む者の楽しみ」の著作に取り組み、それまで知られていなかった多くの地域の情報を、その書に盛り込んだのです。

またこの書に加え、アルイドリースィーは世界地図の作成でも知られています。彼は銀製の円盤にその世界地図を掘り込みました。
アルイドリースィーは、地域区分の主な方法として緯度を用い、地図上で世界を7つの地域に分けています。緯度が高度な天文観察に基いて特定されているのを考えれば、この地図が当時の水準にしては大変よくできているのも頷けることです。

アンダルシアにおけるイスラーム王朝支配が終焉を迎えた後のスペイン地方では、ムスリムの学問的・文化的遺産が、破壊や改ざんの憂き目に遭うこともありました。しかしアルイドリースィーやその他のムスリム学者たちの学問的業績が今でも伝えられているところを見れば、シチリアでは、幸運にもそれが無事保護されていたことを窺い知ることができるのです。


執筆: サルワ サラーマ

 

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