読者の声
 

【イスラームにおける人と人権】
 

日本パレスチナ医療協会主催 連続公開講座 「中東はどこへ」第2部

2004年12月4日、上記シンポジウムが中野商工会館にて開催された。講師は、慶應義塾大学教授でもあり、NHKアラビア語講師も努めた、奥田 敦氏である。一見、とっつきにくそうなタイトルでもあるが、実際の講義は講師独特の雄弁さも手伝い、和やかに進められた。

一般にアラブ・イスラーム世界は、先入観や異質性のみ強調されがちである。奥田氏は、これを3つのカテゴリーに分けて考えることを提唱する。1つは、規範としてのイスラーム、2つ目は伝えられるイスラーム。3つ目は、現実としてのイスラームである。

13億人とも言われるイスラム教徒。「伝えられるイスラーム」とは、イラク戦争であり、反米感情であり、自爆テロ、イスラム原理主義、ジハード、絶望的な中東和平、テロとの闘いの標的。「現実のイスラーム」とは、イスラーム回帰と近代的イスラーム、分断化されたイスラーム共同体、貧富格差、禁酒・飲酒、ヒジャーブ、イスラーム刑法の適用、パレスチナ問題などである。

イスラムは、なかなか判って貰えないと奥田氏は嘆く。自ら、モスリムである事を公言し、あの手この手で学生相手に熱弁を繰り返し、テストの結果を見ると一目瞭然。伝えたいことは伝わらず、曲解される。挙句の果てに、学生からは、‘あの教科は楽勝だ。先生は宗教上の理由でDをつけないらしい’と言われてるとか。イスラムをどのように伝えるか。

シリアに5年半いて、奥田氏の師でもある人から言われたのが、‘イスラムの教えは母親が自分の赤ん坊に、乳をふくませるようなもの’だ。つまり、一人一人の状態に合わせて、何が判って、何が判って貰えないのかを考えてするものだと言う。教育も同じだと言い切る。

イスラム諸国を紹介するテレビ番組の定番が、集団礼拝する人々の姿である。あれは作られたイメージだと言い切る。朝から晩まで、礼拝ばかりしている訳ではない。

イスラーム法が目指す『人権』とは、宗教、生命、理性、子孫、財産の5つだと言う。また、イスラームにおける『人』とは、弱くて、性急で、ケチで自分勝手、愚論好きで、独り善がりで恩知らず。すぐに自分が一番だと言い張り、法から外れる。だとしたら、私はもっとも、それに近い人間ではないか。

イスラーム教徒は、「変わらなければいけないことを最もよく判っている人々」であるからこそ、「変われていない現状」への憤りも人一倍大きいのだと言う。変わるべきという問題意識と、変われていない現実の問題は、イスラーム世界とそれ以外で共有できる。

イスラーム世界は、それ以外の世界と、弱者と強者、支配者と被支配者の枠組みを越えたところで(国境や民族、文化・文明や伝統をめぐる対立や衝突。あるいは、それを扇動する理論とは無関係に)対話し、変化し、融和する可能性を持つ、と説く。

一人一人が変わる必要。アッラーは人が自ら変えない限り、決して人々の運命を変えられないと言う。モスリムでない私にも、それは実感させられる。人権とは何か。そもそも、人権などあるのか。そう思わざるをえないような、出来事ばかりが世界を駆け巡る。一部の恵まれた人だけに与えられる『特権』に過ぎないのか。改めて、考えてみる必要がありそうだ。

聴講報告 中村 栄子

 


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