読者の声
 

【安倍総理のサウジアラビア訪問】
‐“”戦略的関係に向けて‐


 4月と5月のゴールデン・ウィークを活用して、安倍総理は中東諸国を訪問さ れました。その筆頭として二日間訪問した国はサウジアラビアで、しかも一日だ けの訪米後というタイミングでした。その後は、アラブ首長国連邦、クウェイ ト、カタル、エジプトの歴訪となりました。

 サウジではもちろんアブドッラー国王以下の首脳陣との会見があったのです が、きわめて特徴的なプログラムは4月28日の夕刻、約2時間半に渡り開催さ れたサウジ財界との会合でした。このため日本側からは、経団連会長ら首脳も含 めて合計180名余りの大ミッションが結成されたのです。

 この財界との会合は、ビジネス・フォーラムと命名されましたが、右フォーラ ムの同時通訳として、アミーン水谷も参加する機会に恵まれました。そしてその 場の熱気と将来へ向けての双方の固い意図表明は本当に印象深いものがあったの で、それを伝えるためにここにその報告と感想を書くことにしました。

 結論から先に言うと、そこでは両国が相互に補完し協力するという未来志向的 な戦略的関係を一段と具体的に進めるべしとの、きわめて強い意志が双方で表明 され、確認されました。この意味で歴史的にも一つの節目にあたるのではないか という実感ですが、あえてネーミングをすれば標語としての戦略関係の次の段 階、つまり”戦略的関係を互いに求める時代に入ってきたと言えそうです。

 会合では、日本側安倍総理、サウジ側はゴサイビ企画大臣、ヤマニー商工大 臣、ダッバーグ投資庁長官などの来賓がずらりと並び、また経団連、本会合の主 催者として中東協力センターなどの日本側財界指導者とそのサウジ側カンター パートが勢ぞろいするという、これ以上はない豪華キャストでした。会場はリ ヤードの目抜きにある高層ビルのアルファイサリーヤ・ホテルの地下にある大宴 会場で総勢300名の出席でした。

 ところが筆者は準備もあるということで、開催の前日に到着して会場の下見を しようとしたのですが、まだほとんど整備されていないので、それを見た時には 不安感は拭えませんでした。さらには翌日の開催当日にも、午前中はまだ看板も 掛かっていません。しかしそれでも予定時間の午後4時までには、看板はもとよ り演壇の花飾りなど何もかもが出揃い、さらには観衆も多数着席していたのを目 にした時には、日本とは異なる別の手順と秩序があることに改めて感心させられ ました。

 各スピーカーの演説は図らずして両国が互いにエコーし合っているような内容 となりました。つまり2年程前に成立した日本の在ラービグ石油化学工場投資プ ロジェクトを念頭に、今後も双方の石油と技術協力の補完、その推進のための巨 大投資プロジェクトの推進の必要性を訴えるものでした。ちなみに同年には日本 は諸外国の中でも対サウジ直接投資額では筆頭の国に踊り出たのでした。

 このように立派で力強い演説が続いたのは通訳していても気持ちいいもので す。但し汗を流すことになったのは、日本語からアラビア語に訳す時のブースと 反対のアラビア語から日本語へ訳す時のブースが別になっていて、一人のスピー カーが終わると隣のブースへ走って異動しなければならないようにセットされて いたことでした。

 そして予定原稿からはずれることもしばしばです。ただしそれは話し手の気持 ちが入っている証拠ですから、文句をいう筋合いのものではありません。他方全 員、前向きで、行け行けドンドン、という内容だったので、結局通訳上困らせら れることは余りありませんでした。

 何かの障害があれば逆に事態を容易にする要因もちゃんと働いているのは何か 不思議なもので、こんな所にもアッラーの差配を感じたというのが正直なところ です。

 安倍総理はアブドッラー国王に戦略的関係推進のためのより具体的な枠組み創 設を提唱されたようですが、筆者が日本へ戻ってから沖縄の新石油備蓄基地建設 のプロジェクト発表があったことを耳にしました。何と言う英断でしょう。

 両国、そして沖縄の産業のためにも、真に明るいニュースです。一層のこと、 サウジアラビア側には日本との共同技術開発基地建設プロジェクトなどを打ち上 げてはどうかという気が募ってくるのは、筆者一人ではないかもしれません。

 今からちょうど30年前にはじめて筆者がジェッダに足を踏み入れて以来、サ ウジアラビアとの付き合いが続いています。双方の付き合い方や意見交換のあり 方は、現在当時から見れば信じられないほどに親密なものになりました。その象 徴的な機会が今度のビジネス・フォーラムであったかと思います。

 このファーラムを通じても双方の政治、経済的な関係深化だけではなく、似 通った面の多い道徳倫理にも十分考慮しつつ文化的な関係の強化を求める声が少 なくなかったのは、財界人の声として驚かされました。そしてこの分野の関係と 理解の増進こそはアラブ イスラーム学院が日々努力を重ねている所でもあるわ けです。学院で汗する仕事にも、はっきりとした位置付けと方向性が与えられた と感じたのは、我田引水ではないでしょう。

 以上の熱気と開拓的な機運は、会合後の夕食会でも遺憾なく発揮されていまし た。そのせいか、フランス風な仕上げの料理でしたが、羊肉やナツメヤシ、ブル グル(小麦の芽)を使った食事内容は、筆者が中東で数多く食べてきたものの中 でも十指に上げられる美味なものと思えました。ホテルのシェフ捜しにも相当な 美談や苦労話があるに違いないと想像を逞しくしたりしたものです。

 このような会合行事の他に、ちょうど短期間帰国中だったアルジール当学院長 のご自宅を訪れることが出来たのも、良い思い出となりました。リヤードの北方 面にあるイマーム大学の近くに居を構えておられますが、想像した通りとは言え プール付きの白亜の殿堂を目にした時は、やっぱりという感じでした。

 また三人のご子息にも昨年日本で会って以来の旧交を温めました。そして奥様 お手製のこれまた素晴らしい伝統料理を腹一杯ご馳走になり、アラブ式ディヤー ファ(接待)を堪能させていただきました。こんな突然の訪問という偶然も、本 当に単なる偶然だったのでしょうか。またまた不思議な気持ちになります。

 距離的には近いとは言えないにしても、飛行時間は10時間内外でサウジの隣 のアラブ首長国連邦まで飛んでしまいます。そこからリヤードまでは1時間程度 です。アメリカの西海岸と大差ないわけです。超戦略的関係を語り議論するのも 必要でしょうが、もっともっと個人的私的な関係の輪を広げることもその基盤造 りの重要な部分であることは間違いありません。

 公私、あるいは官民こぞっての関係作りを具体的に進め、深めるという大きな 日本の選択のサイコロは既に振られたのです。筆者にはそれは西洋一辺倒であっ た明治以来の文明的選択への反省の要素もあるように思えます。それはさて置い ても、過ぎ去った30年に比べてもはるかに来るべき30年は明るく実り多いも のになるだろうという確信を持って帰国することが出来ました。



執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員

(2007年5月15日更新)



                

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