読者の声
 

【差別のない社会をめざして】
 

9・11テロが悪ならば、アメリカのアフガンやイラク攻撃も悪である。一般市民は傷つけない“ピンポイント攻撃”と称しながら、“誤爆”による犠牲者を数多く出し、その数はテロの犠牲者をはるかに上回るという。“誤爆”というのが又、問題である。それは何パーセントかの割合で必ず起きることが分っているという。それは必ず無辜の一般市民に犠牲者が出ることが、あらかじめ分った攻撃である。テロと何も変わらないではないか!アフガンやイラクを攻撃してしまったアメリカに、クラスター爆弾や劣化ウラン弾などの無差別大量殺人兵器を使用してしまったアメリカに、そしてそれを支持する人々に、もはやテロを非難する資格などないのである。しかも、犠牲者の数は比べものにならない……。もっと悪いことに、9・11テロの犠牲者の死を悼み、多大な補償がなされる反面、アフガンやイラクの犠牲者に対しては、さしたる謝罪も補償もない。言葉に絶するほどの人命の軽視であり、差別である。

もしもアメリカにテロの首謀者とおぼしき人物が住んでいるからと言って、あるいはアメリカが大量破壊兵器を持ち、それを使用する恐れがあるからと言って(それどころかアメリカは現に比類のない大量破壊兵器を持ち、しかも既に大量に使用しているのである!)、どこかの国がアメリカをあんなふうに爆撃してしまったなら、アメリカ人は何と言うのだろうか?“国際社会”は何と言うのだろうか?
“いかなる理由があろうともテロは絶対に許せない”としてテロに立ち向かう“国際社会”は、何故アメリカによるアフガンやイラクでの大量無差別殺人を同様に非難しそれに立ち向かおうとしないのか?いかなる理由があっても大量無差別殺人は絶対に許せないはずではないのか?

“国際社会”は一方のテロを声高に糾弾し、他方のテロは黙認する。差別のない公平な社会を望む人々は、この差別(二重基準)を許しておいて良いのだろうか?世界中にはびこっている差別を、声を合わせて糾弾しなくて良いのだろうか? 帰途についた。

筆者:堀田史子

 

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