読者の声
 

【イラク選手との出会い その4】
 

ウズベキスタンで行われたW杯第一次予選、イラク対ウズベキスタンの試合は、両チーム1得点し引き分けに終わった。日本遠征の長旅の後に加え、イラクチームにとってアウェーの試合、引き分けでもまずまずの結果ではなかろうか。一方、予選同グループのパレスチナと台湾は、8対0という驚異的な得点でパレスチナが台湾を圧勝した。オリンピックには出場できない国、パレスチナ。その国もまた、数あるサッカー王国のひとつであることは、あまり知られていない。2004年3月31日、互いに祖国が戦闘状態にあるため、ホームゲームを自国で行えない二つの国は、戦いの地をカタール、ドーハに移した。

パレスチナ対イラク、私はこの試合が本当に行われるのか心配していた。試合が行われる前の3月22日、パレスチナ・イスラーム抵抗運動組織ハマスの指導者アフマド・ヤシン師がイスラエル軍によって暗殺され、パレスチナはもちろん世界のイスラム社会にかつてないほどの緊張が走った。また、毎年3月31日は、パレスチナ人にとって「土地の日」であり、イスラエルの土地政策に抗議するため各地で集会を開く日でもある。あまりにもタイミングが悪すぎる。それまで私は、カタールへ行き、ドーハでの試合を観た後、アンマンからバグダード、それからパレスチナ、ヨルダン川西岸地区を周る旅のプランを立てていた。しかし、いつ何が起きてもおかしくない現在の状況で、渡航を断念しようか迷っていた。だが、よく考えたあげく私は、「選手にとって危険には変わりない、とにかくドーハだけでも行こう」と、旅の荷物をまとめることにした。

3月28日、エミレーツ航空に乗ってドーハへ行くために、私は単身羽田空港に向かった。現地時間、29日朝8時過ぎ、ドーハ国際空港に到着。先に現地入りしていたジャーナリストのY氏が空港まで迎えに来てくれた。無事に到着し、一安心していたが、すぐに問題が発生したことを聞かされた。イラク選手たちの滞在するホテルを、事前に電話でコーチのセルマン氏から聴いていたのだが、Y氏がそのホテルに行くと、イラク代表チームの予約はキャンセルされていたという。選手たちはどこいるのか?試合は本当に延期になってしまったのか?何も判らないまま、とりあえず私たちは状況を整理、把握し対策を練るためにレストランで早めのランチを摂った。

Y氏が見つけておいてくれた、ダウンタウンの安めできれいなホテル「マーハ・パレス」にチェックインし、私たちは滞在の目的をホテルの受付をしているカタール人に話した。すぐに彼はQFA(カタール・フットボール協会)の連絡先を調べてくれた。アラビア語を少し話せる私をとても歓迎してくれ、その後も何かと親切にしてもらえた。早速QFAに電話してみたが、誰も出ない。今日はお休み?その日は月曜日、アラブの休みは金曜日じゃないの?QFAがなぜ電話に出ないのか考えても仕方ないので、私たちは急いでタクシーに乗り、試合が行われる予定のアル・ワクラースタジアムに向かうことにした。そこに行けば、何か判るかもしれない…。車は砂漠の見える真っ直ぐな道路を、猛スピードで走っていった。

スタジアムは、カタール・スポーツセンターの中にあり、バスケットコートなど、体育館が併設されているかなり大きな施設だった。受付に行き、私たちは日本から来たことを告げ、イラク、パレスチナの試合がこの場所で本当に行われるかを尋ねた。すると、その彼もまた、QFAの連絡先を調べてくれ、先ほどとは違う番号を教えてくれた。困ったときはお互い様、この国のホスピタリティーに私たちは感動していた。そして、この番号はすぐにQFAにつながり、確かに試合が行われること、変更された選手達の滞在するホテルを確認することが出来た。思わず私はガッツポーズ、それまでの不安が一気に吹き飛んだ。ホテルが変更になった理由は判らなかったが、そのことはもう、どうでもよかった。ついに選手達に再会できる、私の胸は悦びで一杯になった。

選手達に会いに行く前に、私たちは実際にQFAに行ってみることにした。スタジアムからタクシーに乗り、30分ぐらいでカタール・オリンピックセンターに到着した。その近代的なビルの中に、カタールの各スポーツ協会事務所がある。2006年にアジア大会を控えているカタールは、今スポーツで大変盛り上がっている。国内には、サッカーのできる競技場だけでも5つ以上あるらしい。お会いできた協会員の方たちも非常に親切で、アポなしで行った私たちを歓迎し、取材のお願いにもすんなり応じてくれた。繰り返すようだが、ここまでに出会ったこの国の人たちは、皆親切である。本来のイスラム社会の様子を垣間見たような気がした。
「何かあったら、すぐに連絡してください」と、有難い言葉をいただき、名刺を受け取った私たちは、QFAをあとにし、いよいよ選手達のいるホテルへ向かった。
ホテルの中にあるカフェで少し休憩、注文したマンゴージュースが妙においしかった。興奮と緊張が入り混じり、私の胸はドキドキして落ち着かなかった。しばらくすると、そこへ見覚えのある白髪の男性が現れた。

「ミスター・シュタンゲ!」私は思わず叫んだ。
そこに現れたのは、イラク国旗の刺繍が胸に入ったジャージを着た、ドイツ人のシュタンゲ監督だった。彼も私に気がつき叫んだ。
「ヤー ハビービー!どうしてここにいるんだい?」
すると続々と選手達が現れ、私は飲みかけのマンゴージュースを忘れ、ロビーに走った。

「アッサラーム アレイコム!カイファ ハールクン?(こんにちは!みんな元気?)」私のへたくそなアラビア語に振り返った選手達の表情は、驚きでしばらく固まっていた。「ワォ!ここで君に会えるなんて信じられないよ!」
それから私たちは再会を喜んだ。

執筆:渡辺マイ

                

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