読者の声
 

【イラク選手との出会い その1】
 

大量破壊兵器は、いったい何処にあるのか?そんな疑問を全く無視するかのように、イラクにおける民間人を巻き込んだ戦闘は、未だ終わりを見ないままである。そんな国で、今、祖国のために武器を持たずに戦う若者達がいる。2004年2月10日、サッカーの国際親善試合にイラク選手団代表チームが来日した。終戦を宣言しつつも実質上アメリカの占領下、フセイン政権残党による自爆テロや民族間の紛争がいまだ続く混乱状態の中、彼らはただ、ボールを蹴るためにやって来た。アラビア語を学ぶ私は、知人の雑誌記者を介し、今回の来日に成田空港到着から滞在先、練習場から試合まで同行する事が出来た。2月10日の朝、10時30分、記者のS氏と京成スカイライナーに乗るために日暮里駅で待ち合わせをした。選手団はトルキッシュエアラインでイスタンブルから12時30分到着予定ということだったが、すぐに到着が20分早まったという情報が入り慌てて電車に乗り込んだ。車中でカメラマンのT氏と合流し、簡単な取材の流れと打ち合わせをしながら、私たちは成田に到着した。すでに到着ゲートはマスコミやファンでごった返していた。しかし、それはイラク選手団を迎えるためのものではなく、イルハン・マンスズ選手(W杯トルコ代表)来日のためのものだった。イルハン選手は今季からJリーグのヴィッセル神戸に参加するそうだが、週に2便しか飛ばないTKラインで、フライトが重なってしまうのは仕方のないことらしい。

まず先に、イルハンがゲートから現れた。わきあがる歓声とフラッシュの嵐の中、彼はにこやかに写真や握手に応じていた。マイクを持ったテレビキャスターらしき人たちは一斉に彼の後を追いかけ、その後を女性サポーターたちが続いた。台風一過。気がつくと、あんなに沢山いた女性達は姿を消し、報道陣も疎らになっていた。おかげで私たちはすんなりイラク人選手団に近づくことができた。「アハラン ワ サハラン!」(ようこそ日本へ!)

間もなく、リムジンバスを追いかけ滞在するホテルに到着した。ホテルのロビーで、選手と私たちはサッカーやイラク情勢、自分たちのことなど、様々なテーマについて話をした。戦争については苦笑いし口を噤む選手もいたが、拙い私のアラビア語に、ゆっくりと解り易く話をしてくれた。私は、ヨーロッパや外国のクラブチームでプレーする気持ちがあるか、選手に尋ねてみた。「海外に行こう(プレーしよう)とは思わないよ。祖国が何より大切だからね。僕は神を恐れているし、今(イラクは)大変な状態だけど、それを決めるのは神様だし、誰かが決めるものではないから」

かつてのフセイン政権下、息子のウダイによるスポーツ選手に対する理不尽な圧政を嫌い、国外でプレーする者も少なくはない。しかし、彼らの神に対する深い信仰と誠実さは、サッカーという非暴力の戦いによって体現されているものだということを、すぐに理解した。それから自然と私たちはファーストネームで呼び合い、すぐに友達(私だけが、そう感じただけかもしれないが)になることができたのだった。彼らの祖国で起きている戦争という現実。私にとってそれは、遠い海の向こうの出来事ではなく、親しい友人に降りかかった災難に変わっていくことに、それほど時間はかからなかった。(続く)

執筆:渡辺マイ

                

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