アラブの詩を楽しむ
 

【アルムタナッビー3】
 

そしてこれは彼がアラブ人気質の例として挙げているものだが、この叡智を通して彼が実は自分自身をも褒め称えていることが理解できる。

『敬愛されて生きろ、あるいはよい状態で死ね。
槍の一撃と戦いの旗の間で。(アルムタナッビーは戦いの中で死ぬことが最もよい死だとかんがえている)

彼女は財産を恐れ、また卑しい存在である。
しかし卑しいことは悪ふざけをすることより悪い。

アッラーは自分を強い者としたため、私を断ち切ることはない。
私は自分こそ出所のしっかりしたよい者だと知っている。』

そして彼は他のところでは彼の寛大さとアラビア語を自在に操ること、そしてその才能ゆえに彼が敵からの憎しみと嫉妬をあおっている詩の先駆者としての才能を褒め称えている。

『私は寛大さとともにあり詩の主でもあり
敵に放たれる槍であり、嫉妬する者の元凶でもある。
私はアッラーが知った共同体の中で異質な存在である。
サムードの民の中のサーリフのように』

また彼はその個性において彼以前のアラビア詩人とは大きく異なっており、移動の跡や女性に対する愛の詩に関心を寄せなかったのである。というのも彼にはそれ以上に彼の関心をひきつけることがあったからである。

『私はアトラールという手法(彼以外のジャーヒリーヤの詩人たちは恋人が去った家の跡についての詩を最初に述べるのが習慣だった)を通さず、多くの質問もしない、また美しい女性にも関心が無い。』

彼は頑固で、全ての人々と全ての物事に対し嘲り、またそれらから怒りを感じている詩人で、自分のことを全ての上位にあり、アッラーの創造物の中で最もすばらしいものだと思っているため、次のように言っている。

『どの場所に上れというのか
どの偉大な人物を恐れよというのか

アッラーが創造したものと
そして創造しなかったものすべて

私にとっては卑小なもの
生え際の髪の毛のよう』

また彼は人生を知ったもので経験があり、人生とは短いもので何にも利益は無く、儚いものである、と言っている。

『私は知っているし賢い
人生とは気をつけていても儚いものであると』

また彼は死と敵を怖れず言っている。

『私の死はまるで自分が彼を殺すかのごとく私を恐れる
もしその蛇が近付いたら私の毒(詩)がそれを殺す

私は自分のまわりをザルカーよりよく見ている
もし何かを見たら、それが何であるかを知ることができる』

そして非難し悪口を言った後、嘲り自分の寛大さを褒め称えて言っている。

『彼が絹を触るとそれはざらついており
筆は彼の爪によって削られる

もし彼が私の悪口を言うのなら自分は男であり
寛大であることで十分だ』

(アルムタナッビー4へ続く)


執筆:ジャマール ザイトゥーン
アラブ イスラーム学院講師

                                          

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