今回の詩人はイラク生まれのアッバース朝の詩人アルブフトゥリーことアブ−イバーダ・アルワリード・ビン・ウバイド・アッターイーです。彼はユーフラテス河のディファーフ川岸に暮らす遊牧民の部族のもとで育ちました。そのためアラビア語を雄弁に話す人々のうちに数えられているのです。叡智の詩人アブ−タンマームの弟子として全種類・様式のアラブ詩に長けていました。またカリフたちを褒め称える詩によって報奨を得ていました。その詩の繊細さ・美しさのため、アラブ文学・アラブ詩の研究者たちは彼をその時代の詩人たちのリーダーとみなしたのです。彼は生まれ故郷で没しています。
次に挙げるのは彼の有名な詩の中でも春を描写した5行の詩です。その中で彼は次のように言っています。
『暑くも寒くもない春が微笑みながらやって来た
あまりの美しさに春が語りかけた。
夜の闇の帳の中でナイルーズが目覚めた。
早咲きのバラもつい昨日まで眠っていた。
しずくがそれを開かせ起し
沈黙の後に話をはじめた。
春は木々に元の衣を返し
成長する飾りとして広げた。
イフラ−ムを解いた人々が見せる微笑み
イフラ−ムの状態の時には困らせていたが』
アルブフトゥリーの春を描写した詩はその音と動きによって最高の芸術的表現、とみなされています。彼は感覚を希望・吉報・繊細な美しい人生への前進といったもので溢れさせたアラブの詩人であり芸術家です。そして"春"を、あたかも春の到来による喜びを彼に話し掛けて広めていく、きらめきの前にいる人物に見立てています。そして言います……「春が貴方のもとへやってきた」ここでは「アタ−」という単語が使われていますが、これは「遠いところから、あるいは長い時間を経て到来した」という意味をもっています。それから「タルク」つまり暑くも寒くもない外気だと描写します。それはあたかも春の光景の美しさを誇りよろこぶ者のようで、笑いながらやって来たというのです。
アルブフトゥリーはそれについて話していたことが春だということを忘れました。そこで彼は誰に話し掛けていたのか気がつき理解したのです。彼はこのように生命と活発さと美しさで満ちた形での春の到来によって、声と会話と言葉によって自分自身を表現しようとしたのです。
ナイルーズとはペルシャの太陽暦の正月の祭りで、初春にあたります。それは夜の帳の中を美しくやって来たのです。そして冬の間は眠っていたバラのうち早く咲いたものの耳に囁きながら来たのです。春はしずくを運びながらやって来てそれを降り掛け、あたかも以前は隠していたその会話を広めているかのようです。
また、春の到来を喜びで迎え、メロディーに乗せた美しい光景と自然を挙げています。それはあたかも長旅にあって、飾りや夜会服・飾り付けられた豪華な服とともに戻ったもののようです。そして木はあたかもハッジに行った者が着るイフラ−ム(注:白色の巡礼衣)を解いて、一色の服を脱ぎ、色とりどりの服に着替えるように葉と花からなる服を着たようです。木は、冬に葉と花なしで痛みを感じていた後で、人々の目に本来の美しさを見せたのです。
ここでのアルブフトゥリーはあたかも筆と絵の具と板をもち、そこに芸術を表現する芸術家・画家のようであり、あるいはあちらこちらへカメラを持って移動し、吉報と美と輝きと希望に満ちて帰った長旅からの帰郷者の動きと静寂さの一瞬一瞬を監視する者のようです。
これは彼の詩の様式の一つであり、機会があればインシャーアッラ−他の詩も一緒に読みましょう。
執筆:ジャマール ザイトゥーン
アラブ イスラーム学院講師 |
(→バックナンバー)
(→週刊アラブマガジンのトップ)
|