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【イマーム・シャーフィー】
 

今回の詩人は4法学派のうち世界に最も広まった学派の創始者の一人であるイマーム・シャーフィーです。彼はヒジュラ暦150年(西暦767年)に生まれ、ヒジュラ暦204年(西暦820年)に亡くなりました。彼の本名は、ムハンマド ビン イドリースビン アルアッバース アッシャーフィー。法学者であり、アブーアブドゥッラーと呼ばれていました。

彼はガザで生まれ(イェメンで生まれたという説もあります)、マッカへと移り、そこで成長しました。その後マディーナで同じく4大法学派の創始者であるマーリク ビン アナスに学び、マッカへと戻りました。そしてイェメンの領主(ワーリー)の宮廷(ディーワーン)の一員として採用されました。何年かこの地位にいた後再びマッカに戻り、マディーナに旅した時、マーリク ビン アナスと論議しました。法学の質問をし、それに関する答えを確認し、「このような場合には答えはどうなるのか?」と何回も問いかけました。
 
マーリクはこの時気分を害して言いました。
「もしあなたが望むのならここへ行きなさい。」
そう言ってイラクの方角を指しました。イラクには同じく4大法学派の創始者の一人であるアブーハニーファの弟子たちがいて、彼らは議論の徒だったからです。
 
そこで彼はムハンマド ビン アルハサン アッシャイバーニーという当時の法学者、裁判官であった者に学びました。ある時、シャーフィーはアッシャイバーニーに本を貸し、それを返すのが遅れました。そしてそれに関してシャーフィーは言いました。

 『(アッシャイバーニーに)言え、彼ほどのものを見たことがないという者へ
  彼を見た者は以前から見知っていると思う(親近感がある)

  知識は与えられるべき者たちのためにあり禁じることはできない
  それは(シャーフィーが貸した本の)は持ち主に返されるべき』

イマーム・シャーフィーにはワキーウ イブン アルジャッラーフという師がいました。
あるとき彼は師にクルアーンとハディースに関する自分の暗記力の悪さについて悩んでいることを打ち明けました。そしてシャーフィーは言いました。

 『私は自分の暗記力の悪さについてワキーウにこぼした
  すると彼は私にその罪を捨て去るよう指導した
 (そしてワキーウは言った)
  知識とは光であることを知りなさい
  アッラーの光は罪びとには与えられない』
 
 また彼は次のような詩を詠みました。

 『私たちは時代を悪く言うが、欠点は自らの中にある
  私たちの時代には私たち以外に欠点はいない

  私たちは証拠もなくその時代を風刺するが
  もし時代が言葉を発するならば私たちを風刺するだろう』


執筆:ジャマール ザイトゥーン
アラブ イスラーム学院講師

                                          

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