アラブの詩を楽しむ
 

【アラビア人の叡智】
 

先人達は哲学こそ科学の母であり根源であると言いました。哲学は事実と事実の裏にあるもの、また自然と自然の裏にあるものを探します。

私たちアラブ世界の遺産の中には、賢い詩人・清貧な詩人・恋愛詩人といった詩人たちがいます。しかし、哲学詩人と称されるのは、栄光に関して詩を詠んだアブルアラー・ウルマアッリーをおいていないでしょう。彼は、青年期最初に詠んだ詩集の最後の詩で次のように言いました。

 『名誉を望むならば中庸を望め
  初めに目的の真ん中を目指せば、後で見直す時にその距離は短い

  満月は欠けて、三日月になるのを恐れる
  満月は完全であるが欠けもする』

おそらくアブルアラーはこのすばらしい詩を読み終えた時真実を述べました。彼は青年期にありながら、人生で得た経験から彼と話をしている者・そして同じように人生を歩もうとしている者に教訓を与えているようです。そして人びとが「棒の両端を掴みなさい」というのと同様に「中庸の道を望むこと」を説いています。
 
最も偉大な賢者であったアッラーの使徒ムハンマド(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)も彼のハディースのなかで「中庸をとりなさい」と言いました。また至高のアッラーは、『このようにわれは、あなたがたを中正の共同体(ウンマ)とする』(アルバカラ章143節)と仰りました。
 
さて、アブルアラーがそのように述べた根拠は何なのでしょう? 忠告の後で彼はこの偉大な叡智で彼の言葉を証拠付けています。「最初に中間を目指せば最後に感じる距離は短くなる」この表現は素晴らしいです。頂上からみる高層ビルやピラミッドはその美しさ・高さがすばらしいものですが、下からみればそれらが小さく低いように見えます。
 
もう一つの例としてアブルアラーが挙げているのは「満月は欠けて、三日月になることを恐れる」です。ブドゥ−ルとはバドル(満月)の複数形です。三日月はその本質においては完全ですが不完全なように見えるわけです。このようなことは人間にもあり、ある人は自らが完全でありながらその人格・振る舞いにおいて価値を下げてその完璧さを減少させる人もいます。
 
アブルアラーはあたかも人々の間で生き、彼らの内面・特徴・人格を知っていて言っているようです。「親愛なる人間よ、もしあなたが人生で栄光を望むのなら中庸を生きなさい。人々に対し高慢になることなく、また謙虚になりなさい。しかし自分を卑小にみせすぎてもいけません。人間とは年少であると言うだけの理由で強い意志をもつ者・目的意識をもつ者・完璧な人格の持ち主を見下すものなのだから。」
 
これは人間の本質で、これに関してアブルアラーは詩を詠んだのでした。また彼の詩集ではすばらしい詩に出会うことができます。そこでは彼の文体・よく使う言葉・詩の構成の仕方、さらには彼の生い立ちについて知ることができるでしょう。
 
そして二つどころか四つの困難(失明・蟄居・幽閉・病気にも拘らず、自分に誇りを持っていました。そしてこれこそが彼の考えを強力なものとし、言葉を力強くし、自分と他人の心に入り込む哲学者たらしめたのです。そしてここから彼は自分と自分の哲学に誇りを持ち、多くの問題を抱えているにもかかわらず彼の人生を変えたのです。そして詩で次のように言っています。

  『私は確かに後世に生きるものだが
  祖先が出来なかったことを可能にする』

アブルアラーにアッラーが慈悲をもたらしますように。彼は、
自分の体を閉じ込めましたが、思想は閉じ込めず、創造の中を巡り、自身の心を深い海へ沈めました。

執筆:ジャマール ザイトゥーン
アラブ イスラーム学院講師

                                          

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