巡礼物語
 

【カアバ聖殿の歴史】


 それでは今回は巡礼の焦点の一つであるカアバ聖殿の歴史について記します。

 礼拝の方向はマッカですが、マッカ市内ではカアバ聖殿の方を向いて行いま す。その意味で、この建物は世界の礼拝の中心ということになります。黒い立方 体で、昔から筆者にとっても何か不思議な存在です。

 起源はやはり天地創造に遡ります。天使たちが天上で礼拝する訪問の館を雛型 として地上にも礼拝所を創るように、アッラーは天使たちに命じられました。 それは天使たちが地上のアッラーの代理は間違いも犯す人間であることに疑問を 持ったので、アッラーが怒られてその罰としての措置でした。

 その後アーダムがマッカに至って彼は大変寂しがったそうです。ハウワーには 巡り合えたのですが、それでも新天地で寂しいと訴えました。そこでアッラーは 以前のものは喪失していたので、同じ場所に礼拝所を新たに建造するよう命じら れたのです。天使ジブリールらは手助けし天国から黒石も齎されました。

 その後、ヌーフの時代の洪水によって、この礼拝所は流されてしまいます。た だ黒石は近くのクバイス山に避難されました。洪水が去って、預言者イブラー ヒームの時代に移ります。

 イブラーヒームはアッラーのお計らいによって、アーダム建造の礼拝所の跡を 見つけることが出来ました。そして息子イスマーイールと共に、その再建に当た りました。その想像図が下の写真です。アルハティームという半円形の造作物は 中に入っているので、右の辺は円弧を描いています。また天上はなく、戸口は地 面についています。



 こうして現在のカアバ聖殿の原型は出来上がりました。高さは、4.5米ほど だったそうです。この後時代は、アラビア半島で偶像崇拝が横行する異教時代に 入ります。そしていろいろの部族が支配しましたが、驚いたことにしばしば火事 や洪水で失われたカアバ聖殿の再建・改築には熱心でした。ただ聖殿は、偶像で 満たされました。

 この多神教時代最後の支配部族が、クライシュ族でした。その時代には、聖殿 はまた再建されて、イブラーヒームの時代のものとは少し変化を示し始めたので す。宝物の盗難が相次いだので、扉は地上約2米ほどに持ち上げたのです。

 そのため聖殿全体の高さが倍になって、約9米となりました。しかしそれで、 クライシュ族は合法的な資金に事欠き始めました。そこで右側のアルハティーム を中にいれずに外に出して、建物の規模を縮小することにしました。

 その後ウマイヤ朝に移り、その初期のことでした。ウマイヤ朝が世襲制になっ たことに反対したマッカの太守イブン・アッズバイルは、ウマイヤ朝の攻撃によ く耐えたのですが戦闘中に聖殿が焼失しました。そこで彼は再建したのですが、 その規模はイブラーヒームの当時の大きな面積にし、また高さは18米にしまし た。

 ところがその直後、またウマイヤ朝は攻撃をはじめ、今度はマッカを制圧しま した。その司令官アルハッジャージュは、またまた聖殿が傷ついたので、再建に つきダマスカスのハリーファにお伺いを立てて、高さは残しつつ、クライシュ族 当時の小さな面積のサイズに戻しました。こうして聖殿の形状は結局、当時のま ま現在に至るわけです。その後も改装は続き、特に1996年、ファハド前サウ ジ国王の改装は大規模でした。

 この長い時間を通じてカアバ聖殿を守ってきたのは、二つの言葉ではないかと 思います。一つはアッバース朝最盛期のハリーファであったハールーン・アッラ シードに時の法学者が示した次の諌めの言葉です。

「信者の長よ、アッラーのカアバを諸王が弄んではならない。誰もそれを取り壊 すことは望んでいない。ただアッラーが壊されるのならば別だが。アッラシード はそれを聞きとげた。」と記録にあります。

 もう一つの教えは、次の預言者伝承でしょう。

「この聖殿を正しく崇敬している限りは、順調であろう。しかしそうでなくなる と、崩壊するであろう。」

 法学の世界と信仰の世界の両側面から睨みを利かされつつ、このカアバ聖殿 は、時代を超えた畏怖と崇敬の権化として一貫して維持されてきたと言えます。


筆者:アミーン 水谷
アラブ イスラーム学院研究者

(2007年10月30日更新)

                

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