心の走馬灯
 

【珍しいアラブ歴訪・心の旅行記(イエメン)】
 

今回はアラブの東の端にあるイエメンについて、書きます。
私がイエメンに初めて行った70年代の末頃は、まだ南北に分裂していました。南は共産主義ですが、南北朝鮮や南北ベトナムがあったように、冷戦構造をそのまま当てはめられた格好でした。しかし朝鮮半島やベトナムでも見られるように、対立は何がしか歴史的な背景があり、それはイエメンの場合、部族的対立を反映していました。何も冷戦がすべてではないのです。
ですから訪れたサナアの街中は、緊張感に満ちていました。スークの中では小火器はもちろん、時に戦車も売りに出ていると当時駐在していた日本人から聞いたのを覚えています。それではと見に行ったのですが、そのときは残念ながら戦車は並んでいませんでした。

街行く人達が、全員カートと呼ばれる香草をチューインガムのように噛んでいて、それを道端にペッ、ペッと吐き捨てて行くので、臭くはないのですが、見た目に馬の糞のような塊がそこかしこに散らばっています。高地にあるため酸素不足気味なので、一種の興奮剤であるカートを噛んでいる風習が生まれたようです。当然私も少しやってみましたが、すぐにおいしいとか気分がよくなるというものではありませんでした。また街行く人達のもう一つの特徴は(と言っても男性のみですが…)、腹に巻いた帯からハンジャルと呼ばれる腰刀をぶらさげていることでしょう。これが正装らしいので、ちょうど昔の日本の侍スタイルといえるでしょう。

イエメンで見るべきものの一つに、その建築物があります。どこを取っても山の傾斜地に巧みに立てられています。大きな岩の上にその岩の面積と同じくらいの建坪の建物が建てられているのもあり、明らかに外の攻撃から身を守るために設計されているのです。このような高度な建築技術を発達させてきただけに、伝統的には隣のサウジでも、建築業界ではイエメン人が幅をきかせているようです。今は有名になったビン・ラーデン一家もイエメンの出ではなかったかと思います。

このような土地柄に住むイエメン人ですが、これがアラビア語やアラブ人の原産地かと思って、目を皿のようにして見て歩きました。ほとんどの人は小柄で、目つきは鋭いものがあります。アラビア語もとつとつとしていて、気のせいか、原初のアラビア語はさもありなんと思われたものでした。また簡単には胸襟を開いてくれる様子はありません。ですからほかのアラブでは当たり前の、家への招待にも恵まれませんでした。何か老舗の敷居の高さを感じました。
  
コーヒーもイエメンのモカ市から始まったそうで、小さな国ながら、アラビア語とともに世界文化に二つも大きな貢献をしたことになります。日本からも時々観光ツアーが組まれるらしいのですが、文字通り閉ざされた国柄への、秘境の旅でした。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2005年 アラブ イスラーム学院