心の走馬灯
 

【珍しいアラブ歴訪・心の旅行記(モーリタニア)】
 

アラブ紀行の中でも多くが書かれているエジプトのことなどは避けて、あまりお目にかかることのない、珍しいものに限って何回か綴ることにします。いままではいろいろなアラブ人との出会いを通じて、残された影絵を追ったのですが、アラブ各地を訪ねての様子を通して、同じく心の残像を巡回してみようということです。

そこでいきなり、アラブの西の端に飛ぶことにします。それもモロッコは避けて、モーリタニアについて書きましょう。ここには日本の大使館も置いていないし、日本人で住んでいるのは開発事業を援助している人達数名と言う状況でした。それ以外日本人でモーリタニアを少し知っているとすれば、パリ・ダカ自動車レースや漁業関係の人達くらいかと思われました。

とにかく凄いところで、首都に到着という機内のアナウンスで窓の外を見ても、どこに町があるのかと、わが目を疑った次第でした。フランスから独立した時、国内で大卒の学歴保持者は4人も居た、ということを何回も聞かされました。それは自慢なのか、恥じているのか最後まではっきりしませんでした。結局両方の場合があると、解釈しておきました。

日本の大使館はないのですが、一方モーリタニアの大使館は東京にあります。観光客が時々あるとのことでした。なるほど国の誇りは、美しい砂漠です。また自然のままの海岸も、世界遺産になるとかならないとかの話を聞かされました。さらに稀少金属を埋蔵、産出し、将来には夢があるとのことです。隕石の収集でも世界的に有名だそうです。こう聞いてくると、自分の不勉強さばかりが目立つ結果になってきました。

街中では、定時にはアーザーンがちゃんと鳴り響いています。1週間だけしか滞在しないのに、4回も羊の丸焼きを出しての歓待に会いました。ハーティム・タイ(客振る舞いで有名なアラブの伝説上の人)はここにも居たのだ、と一人感心していました。  
 
順序が逆になりましたが、こんなモーリタニアに2回、合計2週間余りも行くことになったのは、日本のタコの重要な輸入先ということで、日本の漁業連盟の人達と訪問したのです。首都ヌアクショットと港町ヌアディブに行ってみましたが、小さな港町から戻ると、さすがに首都が大きく見えたのは、目の錯覚かもしれません。それほどに熱気もすごいのです。現状、日本以外にEU向けの漁業も盛んで、国の主要産業ですから、漁業省が大蔵省と同じ建物に入っていたのは、象徴的でした。

物の文明果てるところに、心のほとばしりが余計鮮明にある、などと言うことが出来れば、話は簡単で美しいのでしょう。しかし実際は、これほどまでに凄まじいと、心も萎えてしまいがちでした。

ただしその後、あちらから何人か日本にやってくることとなりました。もちろん上の人達ばかりですが、彼らはEUにもちやほやされている連中です。同じ社会の中の断層の大きさと深刻さが、浮き彫りにされて見え始めました。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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