心の走馬灯
 

【通訳シリーズ・心に残る人達(イラク)】
 

イラクといえば、最近はアメリカの攻撃ばかりが注目されます。しかしイランがホメイニの革命で、急進的なイスラム主義を掲げて、西側諸国との関係を難しくして以来、イラクには多大な期待が寄せられた時期がありました。80年代ですが、アメリカも日本もそれこそ、サダム・フセイン様々といった調子だったのです。膨大な援助資金が流入し、イラクも産油諸国の決定以上の石油を供給し続けました。しかしこれが、90年に到り、イラクのクウェート侵略の伏線を敷くことになったのですから、因果関係が複雑に絡んでいるということになります。

イラクに私が始めて行ったのは、70年代半ばですから、以上のような進展に至る以前のことでした。まだフセインも政権の座について間もないということで、大統領の就任も躊躇していた頃です。そのせいか、バグダッド、ナジャフ、カルバラーなどに行っても、どこか緩やかな空気が流れていたという印象でした。それらのどれをとっても、かくかくたる歴史を誇る町です。ナジャフのいかにも学問の街という雰囲気に感心させられたり、バグダッドはムタナッビー通りにある、ダール・アルムサンナーという、日本で言えば冷泉文庫のような古書の宝庫を訪ねたことが、最高の瞬間でした。同じ古い文化の精華に接していると思うと、知らない間に体が震えていました。でも、現在それらすべては灰燼に帰したそうです。

それから20年近く経って、ということは90年代の早い頃、イラクとの関係に巻き込まれることなど夢にも思っていませんでした。それは、サダム・フセインの兄弟の一人で、バルザン・フセインという人との出会いです。彼はイラク戦争中、例の米軍が準備したイラク政府要人トランプでは、9番目くらいの高い位置で指名手配となった人です。長い間ほとんど忘れかけていたのですが、この春に突然テレビでそのトランプを見て、久しぶりに彼の名前を聞くことになりました。このバルザンは当時、ジュネーブのイラク大使をしていたのですが、それより10年前に始まったイラン・イラク戦争の時以来、出られなくなっている日本の船をユーフラテス川から早く解放してほしいという、日本側船主の陳情を彼にすることになったのです。

ホテルの1室で静かに日本側の話に耳を傾ける、紳士でした。しかしその目は、激しい兄弟間の争いを経てきたことを物語るように、権謀術数の強者という光があったように記憶しています。でもそれは、日本側の緊張感の結果かもしれません。ちなみに肝心の船舶の運命ですが、結局ロイドなどの保険金が下りることになり、そのほうが傷ついた船より価値が大きいということで、そのまま放置され1件は沙汰闇になったそうです。

ダール・アルムサンナーの古書が灰に消えたことや、この日本船の辿った数奇な運命など、どれもがシンドバッド物語にでも出てきそうな話に落ち着いてしまうのは、イラク関係だからということで、気のせいでしょうか。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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