心の走馬灯
 

【通訳シリーズ・心に残る人達(エジプト)】
 

小学生のころ、アスワンハイダム建設のために沈没してしまうアブシンベル神殿を救おうというUNESCOの募金活動に、5円か10円ほど寄付したのが、エジプトとの付き合いの初めでした。それからは何があってもナセル大統領の名前を聞かせられる時代だったわけです。彼の急死により、突如アンワール・サダトが大統領に就いたときは、本当に大丈夫かなどと、彼の政治手腕に疑問を持つ声もしきりに聞かれたものでした。

ところがなんと、第4次中東戦争でしっかりイスラエルからシナイ半島は取り返すし、その後は手のひらを返したような開放政策により、急速な経済活性化を実現し始めたのでした。ところが余りに展開が速く、結局原理主義のジハード団に殺害されてしまったわけです。

それを継いで、ムバーラク大統領に交代してから、最早25年になろうとしています。本当に走馬灯の影絵のように、来ては去って行くとしか言いようがありません。ナセルが思想過剰で、生活向上が犠牲になったとすれば、サダトはその逆を行き、実利を焦り過ぎたのでしょう。それに比べて、ムバーラクはちょうどその中間をうまく操っているといえます。それだけに大きな波風を回避しながら、舵取りに成功してきているのでしょう。

日本がカイロに作ったオペラハウスでムバーラク大統領と会い、建設作業に当たった日本の業者などへ慰労の言葉をもらったことがありました。睨みのきいた面相ではありますが、もちろんその日は終始ご機嫌でした。率直な印象は、どこまで行っても軍人さんだという風に思いましたが、笑うと人懐っこい表情になり、エジプト特有の一面も見せていました。

思えばナセル、サダトそしてムバーラクと続く御三家は、もともと軍の革命分子を集めた自由将校団のグループですが、それまでのトルコ系の王族支配を駆逐した、その意味でエジプトをエジプト人の手に取り返した人達でもあるわけです。
 
ムバーラクの下で外務大臣を務めていたのが、アブドル・メギードという、これまた立派な紳士でした。でも人懐っこい笑みは、紛れもないエジプト人です。彼は自宅からオフィスに朝出勤する途中で、オペラハウスが完成しつつあるのを見るのが、毎日の一番の楽しみだったと言っていたことが、忘れられません。童心のような面もあり、それを何のてらいもなくさらけ出せる人なのです。このような人に会えたという印象だけが、心の財産のようによみがえってくるのです。

ムバーラクの剛とメギードの柔が良いバランスだとも思いました。その後数年間、メギードさんはアラブ連盟事務総長になったので、テレビで拝顔する回数が増えたのですが、その表情にいつも童心を感じてきました。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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