心の走馬灯
 

【通訳シリーズ・心に残る人達(サウジアラビア)】
 

アラビア語がそれなりに出来るようになると、それを買われていろいろな仕事に出くわすようになりました。その一つが通訳です。この通訳業を通して、それまでは出会うこともなかったような、様々な方面のアラブ人と直接対面する機会が与えられました。そのすべてを記録しているわけではないのですが、やはり印象の深いところをいくつか選んで、ご紹介したいと思います。

なんと言っても鮮烈だったのは、石油危機で日本からはサウジ詣が続いた時代でした。1970年代です。その波に乗って、私も何度かサウジで通訳の仕事に就いたわけです。その中でも圧巻だったのは、ハーリド前国王やアブドラー現皇太子と直接話ができたことでした。

当時の日本のある野党の党首がハーリド国王に会ったときには、その党首はなぜか下ばかり向いていました。他方、国王はと言えば広い宮殿の謁見の間で泰然とした風で、広間全体をにらんでいる様子でした。ですから肝心の二人はほとんど目を合わせるタイミングもなかった中で、間に立った私だけが自然に二人を見据えている格好になりました。大陸の民族と島国の民族の違いを絵に書いたような気もしました。ところがちゃっかりと、この会談は大成功だったと言って、その野党の党首が次の日本国内の選挙運動の宣伝材料に使っているのを見たときは、まったく呆れさせられました。       
 
この前国王ハーリドも現皇太子アブドラーも背が高く、真に砂漠の長の風格に満ちていたのが印象的でした。アラブの本流ここにあり、といっても過言ではないでしょう。
これに比べて、ザキー・ヤマニー元石油大臣は王族ではなかったのですが、名前の通りザキー(聡明)な印象の人でした。自分の名前はヤマニーだから、日本語では「二つの山」という意味になると冗談をとばしては、緊張しながら対面する遠来の日本人訪問客を喜ばすのを幾度か見ました。NHKのインタヴューも行われました。

にこやかな表情で、機敏でいながら落ち着いた雰囲気の人です。ところがそんな調子の中で、ヤマニーさんは話し始めると立て板に水で、原油生産量など重要な数字をたくさん、スラスラ出してくるのは、通訳泣かせと言えるでしょう。正直言って幾度か聞き取れなくてメモが追いつかずに、尋ねなおすこともありました。

ここに挙げた三人の人達は、真に国の経綸に携わっている、たくましさと周到さ、そして威厳に満ちた指導者ばかりです。明治の元勲もさぞかしそのようではなかったかと、想像されるくらいです。彼らこそはアラブの本流であり、アラブの歴史を築いてきた最高度の英知に恵まれた逸材の具体例だと、今でも鮮やかに脳裏によみがえるものがあります。この種の興奮は、日本では覚えがないのは残念なことです。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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