心の走馬灯
 

【アラビア語事始の思い出】
 

アラブマガジンに執筆するようにとの誘いを受けました。読んで楽しく、それでいて何かの参考になるようなことを書ければいいなと願いながら書くことします。そして、その全体はどのようになるのかなと頭を巡らせてみて、気がついたことがあります。それは一つ一つの事柄や事実というよりは、結局強く記憶に残されているのは心の動きだ、ということです。心象という用語もありますが、自分の心に「走馬灯」が掛けられていて、それがくるくると回っているような気がしたのです。アラブやイスラームとともに生きてきた一人の人間の心の旅路のようなつもりで読んでいただければ、ありがたく思います。

さて、その最初はアラビア語のことです。私がアラビア語を学びたいと思ったのは、イスラームを勉強するためですが、更にイスラームを知りたいと燃えた背景は、若い日より日本の仏教や宗教全般のあり方に失望させられていたからです。ただ、この宗教方面のことは、もっと後で取り上げたいと思います。

大学3年の頃に本気でアラビア語と取り組み始めましたので、もう35年前のことになります。日本語で書かれた教科書も辞書も、きっちりしたものはもちろんありませんでした。英語を介しての勉強にならざるを得ませんでした。
でも振り返ってみると、我ながらガッツはあったように思います。30近いアラブ文字は一日で覚えたし、3ヶ月も経つ頃には初等文法を終えて、高校生時代アメリカ留学で知り合ったアフガンの友人にアラビア語の手紙を書き始めていました。当時は、若くて集中力と記憶力もあったのでしょう。今はこの勢いにくらべると、ほとんどアルツ×××病に近い感じですが…。

大学の友達の間では、ドイツ語文法は3日間で終了し、次の日にはヘーゲルを読んだなどという話が聞かれるような雰囲気だったのも、励みになっていたのでしょう。なんとなく豪傑風で、下駄履きの学生がまだたくさんいたころです。江戸時代の蘭学の祖である杉田玄白が、オランダ語学習で苦労した話をまとめたのが、「蘭学事始」です。当時アラビア語を勉強しながら、玄白の書いたことが時々頭に浮かんできたことも思い出されます。

こんな話を書く理由は、アラビア語は難しい、特にあのミミズのような文字は暗号のようだ、という声をよく聞くからです。難しいと言えば、何語でも簡単ではないのでしょう。

単語数はどの言語をとっても、ほぼ3,000語をマスターすれば一応パスできるようです。人間そんなに多くの単語を使っては生活していないのです。これもしばらくすれば何とかなる、私はこう信じて始め、ほぼ1年間で実現しようとガンガンやりました。こんな乱暴なやり方が良いのかどうかは、自信はありません。ただこれは、今流行の「俺流」(中日ドランゴンズ落合監督)として自分に課したのは事実ですし、「事始」の気概は今でも心のどこかに息づいている気がします。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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