預言者たち
 

【預言者ヌーフ】
 

ヌーフ(ノア)の民が生まれる前、ヌーフの祖先のもとに5人の誠実な者たちがいました。彼らの名前はそれぞれ「ワッド、スワーウ、ヤグース、ヤウーク、ナスル」でした。彼らの死後、シャイターンは、彼らと同じ時代を生きた者たちに、これらの誠実な者たちを永遠に語り継ぎ、アッラーの事を思い出すために彼らを型取った像を作るようそそのかしました。しかし、後世になると彼らはそれらの偶像を崇拝し始め、これらの偶像が作られた本来の目的を忘れてしまいました。このように、まわりの者が不信仰者という状況のもとにヌーフは現れました。

ヌーフの名前はヌーフ イブン ラーム イブン ムタワシュラフ イブン イドリースでした。預言者ヌーフは、啓典を授けられた預言者の一人で、彼と預言者アーダムの間には10世紀もの時が流れていました。ヌーフは950年という彼の長い人生の中で自分の民に対する布教のために多大な努力を費やしました。

この時ヌーフの民を支配していた悪い王がいましたが、この王は自分の民にヌーフの警告を聞き入れないよう、また偶像崇拝を止めないよう命じました。

ヌーフが生きた950年の間に80人の男女がアッラーの教えを信仰しましたが、彼らは弱者・貧者・奴隷たちでした。そこで王はヌーフに、ヌーフがこれらの者を追放すれば、自分はヌーフを信じると言いましたが、ヌーフはこれを拒否しました。

アッラーはヌーフに舟を造るよう命じました。この時ヌーフは、後にこの舟によって自分たちが救われるという事はまったく知りませんでした。ただアッラーの命令に従ったのでした。彼らの土地は砂漠の真中でしたが、アッラーはヌーフを教え、導いたのです。ヌーフは100年かけて舟を造ったと言われています。この舟は山の頂上で造られましたが、そこには水がありませんでした。ヌーフは木を植え、切り、船を造りました。船は木と釘で造られました。またヌーフはこの船を造る事に専念するために布教を休止しました。

民は彼を嘲り「ヌーフよ、預言者だったのに、大工にでもなったのかね!」と言いました。

船の長さは約18キロメートル、幅は3キロ、高さは1.8キロの屋根があり、ボールのような形で、ドアは3段に重なっていたと言われています。また、アッラーがこの舟をトルコの山の上に置いたとも言われています。

アッラーはヌーフに信者たちをその舟に乗せるよう命じ、またすべての生き物をつがいで乗せるよう命じました。そしてアッラーは印をつけました。

ヌーフにはカナアーンと呼ばれる不信仰の息子がいました。ヌーフは息子に自分と一緒に舟に乗るよう呼びかけましたが、息子はそれを拒否したため溺死しました。ヌーフは息子のためにアッラーに祈りました。
しかしアッラーはフード章46節で仰せられました。『かれは仰せられた。「ヌーフよ、かれは本当にあなたの家族ではない。かれの行いは正しくない…」』これは関係が不信仰によって絶たれたためです。

地上のもので舟に乗らなかった者は、一人残らず溺死しました。
船は6ヶ月間彷徨い続けたと言われています。

ヌーフには、サムとハムとヤーフィスという3人の息子たちがいました。それぞれ有色であったが、色白で少しだけ色の黒い者たち(アラブ人・イスラエルの民)、色黒で少しだけ色の白い者たち(アフリカ人)、白人や黄色人種(ヨーロッパやアジア人)などが彼らの子孫として誕生しました。

ヌーフはこの洪水後350年生きました。
また彼はマッカに埋葬されたと言われています。

至高のアッラーはフード章の25−48節で詳しくヌーフの物語を述べました。


執筆:ヌーラ アッダハマシ


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