預言者略伝
 

【預言者略伝】


 西暦571年、預言者ムハンマド・ビン・アブドッラー・ビン・アブドルムッ タリブ(彼にアッラーの祝福と平安を)は、マッカのクライシュ族に生まれた。 母親アーミナ・ビント・ワハブの腹の中に居る間に、その父親、アブドッラーは 亡くなった。幼年はバニー・サアドと言うベドウィンの下で過ごし、4歳になる まで養母ハリーマ・アルサアディーヤの世話で成長した。(※注)

 この養母が母親に彼を返すことになったのは、彼に起こったある事件の意味が 理解できなかったからだった。その事件とは、ある日彼が砂漠で子羊を一人で世 話していた時、二人の天使がやってきて彼の腹と心臓を切り裂いて、二つの黒い 血の塊を取り出した。そして天使の一人は雪の水で彼の腹を、もう一人は霰(あ られ)の水で心臓を洗ってそこに安寧を広めた。それから開かれた個所を閉じて 預言者の判を押したのだった。

 母親のアーミナはその事件を知らされたが、少しも恐れる風はなく言った。 「彼を生んだ時には光が出て、シリアの城を照らすのを見たのです」と。

 彼が6歳の時に母親は亡くなったので、祖父のアブドル・ムッタリブが8歳ま で、それから後は叔父のアブー・ターリブが後見者となった。

 小さい頃は羊飼いをしたが、その後はハディージャ・ビント・フワイリド (アッラーの御嘉しを)という貿易商をする女性の下で商売に従事することにな り、そのためシリアにも旅した。彼は人々に品行方正とその誠実さで知られ、 「信頼」とか「正直」と綽名されていた。このような彼の性格もあり、しばらく してハディージャは彼が気に入り、結婚することになった。

 その頃より彼は偶像を嫌悪しそれを崇拝するという土地の風習を避け、酒は飲 まず、いかがわしい事や悪行に手を染めなかった。他方近くにあるヒラー洞窟で 一人、昼といわず夜といわず篭もることが好きだった。また例えば、慈善団体に 参加して公益に携わり、不正を正すのに助勢したりした。

 彼が35歳の時には、クライシュ族はカアバ聖殿を修理したが、その際黒石を 安置すると言う名誉な仕事を誰がするのかでもめた。そこで「信頼されるムハン マド」に調停が委ねられた所、彼は服布を取り出しその上に黒石を置き、その布 の四つの隅を指導的な家柄の人たちに持たせて運ぶことで公平に問題を解決し た。こうして周囲の人の信頼は更に増した。

 その頃の人々の良い点は、誉れ、忠実さ、勇気を尊ぶことなどであったが、ま たカアバ聖殿を祀りその周りを大小の巡礼で巡回し、一般にイブラーヒーム(彼 に平安を)の教えである一神教を引き継いでいた。しかしかなりそれを改変し、 また逸脱し、特に偶像が多数置かれて、唯一のアッラーの存在を犯す形になって いた。当時は多くの人が多くの土地で多神教を信じ、真実は姿を隠していたので あった。

 このような中で、アッラーはムハンマド(平安を)に対して天使ジブリールを 遣わされ啓示をもたらされた。それはヒラーの洞窟で篭もっていた時に、世界へ のアッラーの使徒である彼に、アッラーの言葉である聖クルアーンが降ろされ た。その最初の文句は次のものであった。

 「読め、創造なされる方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創 られた。読め、あなたの主は、最高の尊貴であられ。筆によって(書くことを) 教えられた御方。人間に未知なることを教えられ御方である。」
 (凝血章1-5節)

 これに続いて色々の章が降ろされたが、彼は人々にそれらを説明するよう命じ られた。それからまた、アッラーは唯一であり、一切居並ぶものは存在しないこ とも教えられ、人々が礼拝するように導くように命じられた。

 「包る者よ。立ち上がって警告しなさい。あなたの主を称えなさい。またあな たの衣を清潔に保ちなさい。不浄を避けなさい。」
 (包る者章1-5節)
 居並ぶものはない。

 偶像を捨てて、唯一の神アッラーを礼拝するように、人々に呼びかけ始めた。 13年間はマッカでそれを続けたが、さまざまの迫害にもあった。まずは家族か ら、次いで外へと、優しさと柔軟性を持って当たった。それは部族、民族、アラ ブ人、非アラブ人、そして世界へというように輪を広げた。人々に真実を伝える ようにアッラーは命じられ、また混乱している人たちの反対は意に介する必要は ないとされた。これについてアッラーは言われた。

 「だからあなたが命じられたことを、宣揚しなさい。そして多神教から遠ざか れ。」
 (ヒジュル章94節)

 また、

 「預言者よ、本当にわれはあなたを証人とし、吉報の伝達者そして警告者とし て遣わし、彼の許しでアッラーに招く者、光明を行き渡らせる灯火として遣わし たのである。」
 (部族連合章45-46節)

 彼が50歳になった時、その叔父アブー・ターリブはムスリムにならないまま で亡くなった。彼を助け、またいろいろの迫害から彼を守ってきた人だが、ムス リムになると敵の攻撃から預言者(平安を)を守りにくくなるからであった。そ れから、いとしの妻ハディージャもなくなったが、それは彼の深い悲しみであっ た。

 その後彼は、郊外の街アッターイフに赴いて人々へ伝教を試みたが、石を投げ られたり反発と迫害にあって追い返された。そこへアッラーは天使のアルジバー ルを送られ、「もし望むのならば、罰としてかれらを二つの山で押さえよう」と 言った。しかし彼はそれを拒んで言った。「彼らの中からアッラーだけを拝ん で、一切同格なものを並置しない人を選んで抽出されるように望んでいる。」こ れは彼の敵対する人々への慈悲とお情けの表れであったと言えよう。

 次いでマッカの聖マスジドからエルサレムのマスジド・アルアクサーまでの夜 の旅が行われたが、それは天馬ブラークに乗って天使ジブリール(平安を)に付 き添われてであった。そこでアーダムら他の預言者たちと会って礼拝し、天国の 最上階まで連れられて行き、アッラーからムスリムの義務たる礼拝の仕方を教え られた。そして日の昇る前にマッカに戻り、この話を人にしたら、信者はそれを 信じ、不信者はそれを嘘だとした。聖クルアーンに言う。

 「彼に栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周 囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。わが種々 の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視 であられる。」
 (夜の旅章1節)

 次いでアッラーはマッカの人たち相当数がイスラームに改宗してイスラームの 教友となってから、アルマディーナへの聖遷を彼に許された。一緒にお供して移 動したのは、偉大な教友アブー・バクル・アッシッディーク(アッラーの御嘉し を)であった。アルマディーナでは信仰に基づいてマスジド・クバーが建てら れ、アルマディーナに入ってからはそのラクダが初めて膝をついた地点に、聖マ スジドを建設された。

 それからと言うもの、イスラームは人の信仰を集め目立つ存在になっていっ た。マッカ平定後はアラビア半島を席巻し、人々は集団で入信した。また諸国の 王には書簡でイスラーム入信を勧めたし、ユダヤ人学者も入信する者もいた。

 62歳になりアルマディーナで10年を過ごした後、最後の巡礼も果たした。 聖クルアーンに言う。

 「今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなた方 に対する恩恵を全うし、あなたがたの教えとして、イスラームを選んだのであ る。」
 (食卓章3節)

 それから数ヶ月して西暦632年、預言者ムハンマド(平安を)は任務とその 使命を果たして、アッラーの下に召されたのであった。

(※注) 生年については、天文学的に西暦の571年4月20日、または22日との説に 従う。『天文学的検討結果』アルマンスール・ファウズィー、マハムード・バー シャー著、ベイルート。ページ28-35。


筆者:ムハンマド・ハサン・アルジール
アラブ イスラーム学院長      

(2007年1月16日更新)

                

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