マディーナでは、預言者ムハンマドはイスラーム布教のために自由に行動できました。
ムスリム(イスラーム教徒)の数は、日ごとに増えていきました。
しかしマッカの住人達からの脅迫は止まりませんでした。
その為マッカの住人達との小規模な衝突が数回起こりました。
それらの戦闘では、時にムスリム達が勝利し、時にマッカの住人達が勝利を得ました。
預言者ムハンマドは、又、ビサンチン軍とペルシャ軍の間の戦闘に携わり、北部と東部のイスラームの存続が危険にさらされました。
マッカの住人達との衝突に関しては、フダイビーヤの条約がムスリム達とマッカの住人達の間で記名調印された後、暫くの間止まりました。
マディーナ時代の間、ムスリム達はマディーナのユダヤ教徒達とその周辺の部族達との条約を確立しました。
ユダヤ教徒達はその条約を破り、それが彼らのアラビア半島からの駆逐を招きました。
マディーナにおいて預言者ムハンマドは、イスラームを本当の意味での生き方として確立する事に成功しました。
彼は、サラー(礼拝)・ザカー(喜捨)・サウム(断食)、そしてハッジ(巡礼)のような宗教的事柄に関して指導を与え、それらの事柄においての見本を単に示しただけではなく、社会的・経済的・政治的分野にわたる規定と法をムスリム達に提示しました。
マディーナでもてなされた使者達:
あらゆる種類の問題を尋ねる為に、そして話し合いや交渉を求める為に預言者ムハンマドが様々な部族と国からの使節と使者達を受け入れたのはマディーナの町においてでした。
使者達の中には、ナジュラーン(南アラビア)のキリスト教徒社会を代表する使節がありました。
預言者ムハンマドは彼らを歓迎し、彼らを名誉ある来客としてもてなし、キリスト教教会をマディーナの町で運営することさえも許可しました。
それは、宗教問題をお互いの観点で分かち合う良い機会でした。
その使節のメンバーの一部はムスリム達から受けた待遇に深く感銘し、その結果彼らはイスラームへの信奉へと導かれました。
ムハンマド アル・トゥワイジュリー著
「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)人類への恩恵」の翻訳より |
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