預言者ムハンマド伝
 

【生誕、青年期、結婚】
 

【生誕】

ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)は、8月2日(ラビーウ・ル・アウワル月12日)月曜日にアラビア半島のマッカで生まれました(西暦568、569、571年という諸説がある)。

母アーミナはザフラーン一族のワッハーブ・イブン・アブドゥル・マナーフの娘で、父アブドゥッラーは、アブドゥル・ムッタリブの息子でした。つまり預言者イブラーヒームの息子であるイスマイール(彼に平安あれ)の約40世代下の家系に生まれました。

アブドゥッラーは息子の生誕前に亡くなったのでムハンマドは孤児となりました。マッカの高貴な家系の伝統に従い、父の死後は乳母ハリーマに引き取られ、数年を彼女の村で過ごしました。その期間に、彼は母を訪ねる為に数回マッカに連れて行かれました。

そして六歳のときにアーミナが死ぬと今度は祖父アブドゥル・ムッタリブの保護下に置かれました。祖父の死後は叔父アブー・ターリブの保護下に置かれました。この頃までに、ムハンマドはマッカ周辺で羊の世話をするようになり、叔父と共にシリアに交易に行くようになりました。

【青年期】

彼は神(アッラー)の唯一性を固く信じていました。また非常に質素な生活をし、うぬぼれと高慢を嫌いました。そして貧しい人達、寡婦達、孤児達に情け深く、彼らを助ける事で彼らと困難を分かち合いました。また賭博、飲酒、無作法な言動、その他、若者達の間で一般に行われていた全ての悪行を避けました。

そのためアッ・サーディク(正直者)、またアル・アミーン(信用できる人)として有名でした。また故郷マッカでは、対立する者達の仲介者として常に信用されていました。

【結婚】

25歳の時、叔父がムハンマドにハディージャという名の裕福な未亡人の所有する隊商と共に働く事を勧めました。彼はそれを了承し、シリアへの旅を引き受けました。そして賢明に責任をもって商売を行い、いつもよりも多く利益を得て戻りました。ハディージャは、ムハンマドの正直で人を引き付ける個性に惹かれ、彼に結婚を申しこみ、ムハンマドはそれを受け入れました。

この結婚は、幸福なもので、彼らは子供を授かりました。
ハディージャは、61歳で亡くなるまで彼の唯一の妻でした。

ムハンマド アル・トゥワイジュリー著
「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)人類への恩恵」の翻訳より

                

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