イスラーム社会
 

【サウジイスラーム社会における個人の諸権利 6】


 前回個人の権利という主題のもとお話したと思うが、それは社会の個人間の兄 弟愛を深め、善行と敬神の念ゆえに愛し合い助け合う関係を強め、全ての者に幸 福を与え、その保障をするという視点からの例だった。しかし今回は主の思し召 しならば、逆に社会の個人間の兄弟愛を損ない、弱体化させその関係を蝕み、憎 しみと相反を生じさせ、互いに恐れあい、各々がその権利と福利に安全でいられ ないような諸原因を簡潔にまとめて―読者の方々の退屈を買わないように―挙げ てみようと思う。親愛なる読者よ、私はイスラームの教えが警告するところの6 つのものを要約しよう。

1-不正の禁止:

不正の撲滅は人の人生と兄弟愛の維持にとって、とりたてて特別な説明も必要と しないほど当然の義務である。人は他人の権利を犯す時、不正者と知られる。ま た人は不正を受ければその不正に抵抗するものであり、そこから争いや議論が生 まれる。そして不正を被る者が不正者の不正に辛抱しなければならないとした ら、そのような社会は信頼するに足らず、何の権利も保障してはくれないであろ う。ゆえに不正は兄弟愛を真っ先に反故にしてしまうものであり、それを守るた めには不正を禁じ、撲滅しなければならないのだ。

 実際のところ現在のイスラーム社会の後退と喪失の大きな1原因は、多くの者 がイスラーム法のもたらしたものを実践することから遠ざかったことなのだ。そ れゆえそこには不正が横行し、日常茶飯事となり、国家・党派・集団・個人レベ ルで強者が弱者を虐げ、誰も不正を受けている者を不正者から助けないような状 況が生まれた。その結果イスラーム世界には混乱が広まり、アラブ・ムスリムは 当初の威信を失い、偉大な歴史に傷をつけたのだ。

2-嫉妬の禁止:

 サウジ社会においても人々の中にこの害悪は認められる。特に物質主義が蔓延 し、イスラーム及び他の諸宗教がそこへと誘うところの高徳、高貴な理念が自己 中心主義によって蹂躙されている現在、どこにおいてもこのような現象は観察さ れている。この嫉妬という問題に関して私自身の体験を述べれば、その多くは高 校生時代に幾度となく起こった。私は―主に讃美あれ―努力家で成績優秀であっ たのだが、期末試験を2日後に控えたある日、教科書をなくしてしまった。週末 であったので学校は閉まっており、家のどこを捜しても教科書は見つからない。 クラスメートに電話しても結局見つけることは出来ず、憂鬱と心配で落ち込ん だ。どうやって勉強し、どうやって教科書なしで試験に臨もう(サウジアラビア では教科書は無料で配布されるもので、どこでも販売されてはいない)?

 結局の所、私は親戚の1人から代用品として古い教科書を借り、試験に合格す ることが出来た。そして奇妙なことに、試験が終わって教室から出るときに、私 は自分のかばんの脇に私の教科書を見つけた。それはところどころ破られ、馬鹿 馬鹿しい殴り書きなどがしてあった。つまり教科書は、私が試験に落ちることが 目的で取られたのであった。学生たちの嫉妬である。しかしそれでも一般的に見 れば、サウジ社会における状況はそれほど悪くない。それどころかまだ人々の間 には良いものが沢山見出されるのだが、一部の人々の心を小さな悪が支配してし まうのだ。

3-軽蔑と嘲笑の禁止:

 至高の主アッラーは、人類を1人の祖先から創造した。また創造者こそ唯一の アッラーであり、それゆえ人々は形成上優劣がない。また肌の色や国籍、言葉、 身長などで優劣が決められることもない。それらは人間が選んだことではなく、 至高の創造者がそう創られたものであるからだ。

 人間はこの「神的規律」を守らなければならず、神が貴くされたところの人間 を尊重しなければならない。それゆえ互いに蔑み合ってはならず、嘲り合っては ならないのだ。この規律によって人類の統一が成され、愛情と親愛が人々の心の 中に芽生えるのだろう。一方肌の色や形成上の醜さ、国籍、出自、経済力、職業 などを理由とした軽蔑や嘲笑は、この「神的規律」に反するものであり、ムスリ ム間の統一性を乱し、互いの憎悪や相違を増長するものである。

 軽蔑や嘲笑の横行をないがしろにすることは、社会の破滅にもつながりえる。 軽蔑や嘲笑をする側が存在するということは、それを被る側の諸権利における平 等性や義務を理由なしに侵害することにつながるからだ。サウジ社会にもこのよ うな病人たちは存在するが、主の恩恵のお陰で、大方の人々はこのようなことか らは無縁である。人々はより弱い立場にある者を愛し、尊重するよう教育されて いる。1例を示そう。ある日私たち家族は帰宅の途にあり、私たちには4歳に満 たない末の妹がいた。そして家の付近を通りかかった時、困窮している様子が明 白な子供たちに遭遇した。私たちの誰も彼らに注意を払わなかったが、末の妹 ―母親は彼女に困窮者に優しくし、弱い者に同情するように教育していた―は、 父親のもとへ行き、その服を引っ張ってお金がせがんだ。父親は驚いたが、彼女 は彼らにお金を恵んでやりたいのだと言った。私が覚えている限りでは、彼女は このように言ったと思う:「お母さんは貧しい人たちを好きになりなさいって 言ったのよ。私はあの子たちが好きだから、お金をあげたいの。」サウジの親た ちはイスラームがもたらしたこのような高徳でもって子息を教育し、このような 高徳でもって社会を支えるのだ。

残りの3つの要素はまた次回に書き記そう。それではまた。


執筆:ラシャー マンスーリー
アブドルアジーズ国王大学元研究員

                

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