イスラーム社会
 

【サウジイスラーム社会における個人の諸権利 3】


 読者の皆さん、改めてようこそ。
 人間の讃えられるべき道徳の数に終わりはなく、その美点は世界中の書物を もってしても取り上げきれないであろう。それでも私は実際にアラブ・ムスリム であるサウジ国民の根底を成している最も主要なポイント(あるいは権利)に的 を絞ってみたい。親愛なる読者の皆さん、私は美点のリストを取り上げるだけで はなく、サウジ国民には沢山の長所があることをあなた方に知って頂きたい。サ ウジ国民は彼ら特有の精神的・信仰的遺産を有しており、由緒のある歴史的文明 を享受してきたが、これらによって正しいムスリムの民となっているのであり、 現代世界が宣伝しているような姿ではないのである。とにかく中途になっていた 17のポイントの9番目から続けて見ていくことにしよう。


9.他者優先の精神

 他者優先とは、この世の何らかの物事において自らが必要としているところの ものを、他人に優先させて譲ることを言う。その逆は独占だが、それは人が何か を占有して他人にそれを渡さず、あるいは力をもって他人をその占有物から閉め 出す事である。他者優先の精神は人の品行のうちでも最も優れたもので、順番と してその後に正義が来る。前にも触れたように、正義とは各人が自らの権利を有 する状態である。一方独占は人の品行のうちでも最も悪いものだ。この他者優先 の精神は、社会を平和の頂点にまで到達させる。というのも各人が自らの現世的 チャンスから身を引き、他人にそれを優先させるからである。彼は独占や占有な どということを考えることは言うまでもなく、彼自身の権利を全て享受しようと することすらしない。

 正義は社会に平安をもたらす。それは個人が互いに不正を犯すということを考 えず、自らの権利を全て獲得しようとはせず、かつ他人に不正を働かないからで ある。それゆえ不正を働くこともなければ、不正を味わうこともない。一方独占 は社会から平安を根こそぎにしてしまう、死をもたらす伝染病である。というの もそこにおいて各人は、それが権利に基いていようとなかろうと、自らに最高の 現世的利益をもたらすことしか考えないからである。そして力を有する者が、独 占者であり占有者である。こうした私欲に基いた社会は、現世の虚栄を追い求め て競争する社会であり、各人や各党は自らを強化し、その力でもって独占と占有 を求める。その結果社会には心配や争い、戦争や反乱が続発し、平安が乱されて 家庭と個人の関係は恐怖で満ちる。人間というものは私欲が強いほど、神への服 従から遠のくものである。というのも人間が真に神への服従に徹したならば、現 世的欲望や独占欲は減少し、神が彼に与えた以上のものを得ようとする野望など も薄れるからだ。

 ゆえにアッラーは、人を高徳へと誘った。それこそ神のもとにあるものを求め るということから生じる、吝嗇の念を捨てた他者優先の精神である。そしてこの 高徳とは稀にしか見られないものであるが、決して不可能なことではない。自ら の内で奮闘する者は、奮闘しただけのものを他者優先の精神の形で実現できるだ ろう。ここで、私が今まで耳にした中で最も素晴らしい他者優先の精神に関わる 話をしよう:ある昔のこと、ムスリムの一団が外国に向けて旅に出た。そして彼 らの何人かしか食料を携えておらず、しかもそれは僅かなものだった。後に日が 暮れ、腹を減らした一行は休憩し食事を取ることにした。しかし食料は少ししか ない。それである者が提案し、食料を持っている者はそれを出し、持っていない 者たちに恥をかかせないよう、明かりを消して皆一緒に食べることにした。一同 はもぐもぐ音を立てて食べ出し、その音が途絶えた時に食事が終わったこと印と なった。彼らが明かりを点けると、何とした事だろうか、食べ物は手付かずのま ま残っているではないか!?そこにいた全員が友人に気を遣わず食べてもらおう と、ただ音を立てて食べる振りをしていたのだった。これが彼らのしたことだっ た。それに比べ、盗みや自分に何の権利もないものにまで手を伸ばそうとして明 かりを消す人々の、なんとあさましいことだろうか。

10.物事を良い方に考えること

 信仰者の本来の姿は、余程明白な証拠がない限り、言動を良い方向に捉えるこ とである。アッラーは信仰者に疑心暗鬼を避けるよう命じている。疑心暗鬼と は、明白な根拠なしに物事を悪い方向へと考えることを言う。そしてアッラーが 次のように仰られたように、ある種の疑心暗鬼は罪である:「信仰者よ、疑心暗 鬼に囚われないようにせよ。実にある種の疑心暗鬼は罪である。そして互いに探 り合ったり、陰で中傷し合ったりしてはならない。(部屋章:12)」そしてク ルアーンが物事を悪い方向へと考えることに対して警告したように、預言者ムハ ンマドも警告している。彼の教友アブー・フライラによると、彼はこう言った: 「疑心暗鬼に注意せよ。それはそれ以上にはない嘘だらけの話であるから。」一 体この疑心暗鬼への誤った対処法によってどれだけの家族や社会、国家が崩壊し ただろうか?そして本来、物事は良い方向へ考えるべきなのである。この法則を 無視すると、シャイターン(悪魔)は人に囁きかけ、その兄弟に様々な非難をふ りかけるようでっちあげる。これが毎日積み重なると最後に彼は仇敵のような存 在にまで仕立て上げられ、自らの防衛と相手への攻勢のため、この仮想の敵を抹 殺する計画を立てるまでに至る。彼は出来る限りの力をもって彼に危害を与えよ うとし、徐々にその争いをエスカレートさせ、最終的には非常に望ましくない結 果にまで至る可能性すらある。そしてこのようなことにおける第一の原因は全 て、何の根拠もない疑心暗鬼である。そしてこれが現代において個人レベルにし ろ集団レベルにしろ国家レベルにしろ観察されていることで、それゆえに彼らの 間には分裂や衝突が見られるのだ。

11.抑圧者の援助

 人類は運命的に弱者と強者、抑圧者と被抑圧者に分けられる。本来抑圧という ものは強者から弱者へと働きかけられるものであるが、それは弱者が強い抑圧者 には太刀打ちできないからである(権謀術数を用いれば出来る可能性もある が)。抑圧は一般人を滅ぼす原因となるゆえ、それを未然に防止し、発生後はそ の排除と、抑圧者自身をその状態から脱出させることにおいて協力し合わなけれ ばならない。これが正しい理性と道徳律及び常識にそぐうことである。そしても し人々が抑圧の排除と抑圧者の救助において協力し合わなければ、抑圧と不正は 蔓延し、人々と国々を壊滅させてしまうことであろう。それゆえアッラーはムス リムに、被抑圧者を抑圧者から守ることを命じたのである。そしてこれがアッ ラーが仰られた、罪と敵意のもとのではなく善行と畏敬の念のもとの協力である のだ:「善行と畏敬の念のもとに協力し合い、罪と敵意のもとに協力するのでは ない。(5:2)」そして預言者ムハンマドもまた同じことを命じている: 「“あなたの兄弟の抑圧者と被抑圧者を助けよ。”預言者の教友たちは言った: “預言者よ、私たちが被抑圧者を助けるのは分かりますが、抑圧者はどうやって 助けるのでしょう?”預言者は言った:“彼を抑圧をすることから救うの だ。”」

 そして実際、多くのサウジ国民は幼少の時期からこの教えを叩き込まれるの だ。それで例えば母親は子供の間にケンカが起こると、彼らを座らせ、その原因 を訊ねる。それから間接的に彼らへのレッスンをたれ、無実な方の立場に立ち、 不正者あるいは抑圧者を押しとどめ、その権利を本人に返してやるのである。こ のような光景は、大方のサウジの家庭で観察されるだろう。私はこのことに関 し、まだ自分が幼少の頃に起こったことを覚えている:私の母は時々家の外で何 か用事があるとき、私を下の姉妹たちと一緒に留守番させ、私に彼女らの面倒を 見させた。そして私は母が帰ってくると、姉妹たちについて彼女に「彼女たちが ケンカばっかりするから、おもちゃを取り上げて、どなりつけてやったわよ。」 などとよく不平を言ったものだった。しかしある時このようなことが重なった 時、母は私を彼女と2人っきりにして言った:「娘よ、何をしているの?あなた のしていることは正しくないわよ。どうして悪いことをした子としてない子を一 緒に罰するの?」私は言った。「知らない。ケンカが誰からどんな風に始まった か、知らないもん。」すると母は簡単な解決法を与えてくれた。「彼女たちを集 めて、問いただすの。そうすれば分かるものよ。そしていじめられた子には彼女 が傷つかないよう、優しく同情してやりなさい。そして同時にいじめた方の子の ところに行って、やったことについて優しく諭して、上手に教えて注意してやる の。それからいじめられた方の子のところに連れて行って、謝るか、キスする か、抱きしめさせるかしなさい。微笑みかけさせるだけでもいいから…。」そし てこのようにして母や他の女性たちは、私に「あなたの兄弟の抑圧者と被抑圧者 を助けよ。」の言葉を教えたのだ。

 親愛なる読者よ、また長くなってしまったが何事にも終わりというものがあ る。人々の間の兄弟愛を深める要素もあと残り6つだが、その後は兄弟愛を失わ せる要素についての話に移る予定だ。それではまた。


執筆:ラシャー マンスーリー
アブドルアジーズ国王大学元研究員

                

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