イスラーム文化
 

【イスラームと女性】
 

1 イスラームによる女性解放一般

他民族の間では女性が魂のない動物、あるいは悪魔とみなされていた時代、イスラームは人間性において女性が男性と平等であること、男女とも祖先はアーダム一人であり、また彼らの母親はハウワー(イブ)であると説きました。
アッラーはアルフジュラート章13節において次のように仰りました。
『人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。』

またアルクルアーンは男女の得る報奨は同じであるとしました。

『誰でも正しい行いに励む者は、男でも女でも信仰に堅固な者。彼らは楽園に入り、少しも不当に扱われない』(アンニサー章124節)

また他のある民族は女性に対し姦通を許していましたが、イスラームはその逆でした。そしてムハンマドは男性たちと契約を結んだのと同様女性たちとも次のような契約を結びました。

『預言者よ、あなたの許へ女の信者がやって来て、あなたに対しこう忠誠を誓うならば、「アッラーの他は何ものも同位に崇めません。盗みをしません。姦通しません。子女を殺しません。また手や足の間で、捏造した嘘は申しません。また正しいことには、あなたに背きません。」(と誓うならば)彼女たちの誓約を受け入れ、彼女たちのために罪を赦されるようアッラーに祈れ。本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。』(アルムムタハナ章12節)

またある民族は女性を蔑視し、彼女たちを社会的活動において男性のパートナーとはみなしませんでした。イスラームは男女が社会的には平等であると言いました。

『男の信者も女の信者も、互いに仲間である。かれらは正しいことをすすめ、邪悪を禁じる。また礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、アッラーとその使徒に従う。これらの者に、アッラーは慈悲を与える。』(アッタウバ章71節)


2 イスラームによるアラブ女性の解放

アラブの幾つかの部族は女児を生き埋めにする習慣を持っていました。というのも貧しさを恐れ、戦争によって女性捕虜になる不名誉を恐れたからです。
『彼らの一人に、女(児の出産)が知らされると、その顔は終日暗く、悲しみに沈む。彼が知らされたものが悪いために、(恥じて)人目を避ける。不面目を忍んでそれをかかえているか、それとも土の中にそれを埋めるか(を思い惑う)。ああ、彼らの判断こそ災いである。』(アンナフル章58、59節)
イスラームはこの悪習を禁じ、さらに殺人者たちに(女児の)彼女が一体何故殺されたのか問われるだろうと言っています。

また、アラブでは女性と年端のいかない子どもたちは遺産を相続しないこととなっていました。

アルクルアーンではこう述べられています。
『男は両親および近親の遺産の一部を得、女もまた両親および近親の遺産の一部を得る、その際遺産の多少を問わず定められように配分しなさい。』(アンニサー章7節)

また、アラブでは女性が金銭と同等に遺産として相続されることもありました。
『あなた方信仰する者よ、当人の意思に反して、女を相続してはならない。あなたがたが、彼女らに与えたマハルの一部を取り戻すために、彼女らを手荒に扱ってはならない。』(アンニサー章19節)
『あなたがたの父が結婚したことのある女と、結婚してはならない。過ぎ去った昔のことは問わないが。それは、恥ずべき憎むべきこと。忌まわしい道である。』(アンニサー章22節)


3 結婚に対するクルアーンの見解

クルアーンの中では、結婚は個人的にまた社会的に正しい形でなされなければならないと書かれています。結婚は人間を存続させるための社会的な義務であり、男女間の愛情と慈しみとして精神的な安らぎとなります。
アッラーは次のように言いました。
『またかれがあなたがた自身から、あなたがたのために配偶を創られたのは、かれの印の一つである。あなたがたは彼女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ)、あなたがたの間に愛と情けの念を植え付けられる。本当にその中には、考え深い者への印がある。』(アッルーム章21節)

またクルアーンには次のように書かれています。
『既に互いに深い関係もあり、彼女らは堅い誓約をあなた方から得ているのである。』(アンニサー章21節)
ここでいわれる「堅い誓約」とは結婚の誓約であり、これは夫婦となった男女がお互いに相手への義務を守るという誓約です。結婚の契約は売買契約や、レンタル、または奴隷化ではありません。

『彼女らはあなたがたの衣であり、あなたがたはまた彼女らの衣である。』(アルバカラ章187節)
衣服とは人間にとって、その身を守り、またその身を飾り立てるものです。

また預言者はそのハディースの中で次のように述べています。
『女性は4つのことがらによって結婚される―彼女の財産・家柄・美しさ・宗教…―』

ちなみにここでの「宗教」とは礼拝をする、断食をするといったことではありません。宗教によって彼女が自分の人格・礼儀をただし、羞恥心が彼女を守るということです。クルアーンでもハディースでも自分に相応しい人を選ぶように述べられています。


4 イスラームにおける結婚とは

イスラームにおける結婚は、他の契約と同じく宗教関係者たちの同席を条件とはしませんし、パーティーが開かれることも条件には入っていません。イスラームでは結婚を男女双方の相互理解の上に基づいた契約としています。その条件は「義務付けと受け入れ」と「二人の証人の同席」です。

このようにイスラームにおける結婚はとてもシンプルに契約がなされます。しかし、ムスリマ女性はムスリム以外と結婚することは出来ませんし、ムスリム男性はムスリマ女性または啓典の民(ユダヤ教、キリスト教)の女性以外の女性とは結婚することはできません。また、結婚が禁じられる間柄には乳兄弟、それに付随する家族関係が挙げられます(ここでは詳しくは述べません)。

またイスラームでは結婚前に婚約がなされます。そこで男性は相手の女性への結婚の意志を伝え、自分の置かれている状況(経済的なことなど…)を伝え、結婚契約に関する交渉を始めます。可能であれば、その際婚約者の顔をみることが好まれます。預言者のハディースでもそのほうが互いの愛情が芽生えるでしょう、と書かれています。またイスラームでは女性の後見人は彼女の意志を問わなければならないとしています。ちなみに当時のヨーロッパの女性に関して言えば、結婚の承諾に関して父親が娘の許可を取る必要はありませんでした。

またこの婚約は双方から破棄することが出来、その際手元に残っているプレゼントなどは相手に返します。婚約期間中であっても、婚約者同士のみが密室で二人きりになることは許されません。婚約はあくまで婚約であって、結婚ではないからです。
また結婚の際は、双方のレベル(知識・家柄・人格・財産など)が同じくらいであることが条件とされます。


5 結納金

イスラームの結婚は結納金を男性側に義務付けています。ただし、この額は決められていません。この結納金は、後見人も夫も、結納金の持ち主である女性(妻になる者)の許可なくしてそれに手をつけることは出来ません。この結納金はあくまでも男性側からの女性へのプレゼントであり、この金額によって女性が売買されるわけではありません。


6 夫婦間の平等

家族とは人間社会の核であり、人間の幸福は家族の幸福に比例します。家族は男性と女性によって形成されていますから、それは双方の関係と家族間の双方の立場の理解のうえに成り立っているわけです。

社会が女性の正しい役割を知る前は、長年、結婚とは男性による女性の奴隷化に等しいものがありました。アルクルアーンでは、男性に夫婦間の協力に関して指導者の立場にある権利を与えながらも、夫婦はその義務と権利に対し平等であるとしています。アルクルアーン アルバカラ章228節には次のように述べられています。『女は公平な状態の下に、彼に対して対等の権利をもつ。だが男は、女よりも一段上位である』

夫である男性が何かを必要とした時、妻にも同等のものを与えなければなりません。男性でも女性でも、どちらかが自分の利益のために片方を支配し、奴隷のように相手を扱うのは公平ではありませんし、結婚という契約のもとに共同生活を始めたのですから、特に夫婦が互いに相手に敬意を払い、お互いに相手に権利を与えなければならないわけです。

さて、このクルアーンの節は1つだけ例外としていることがあります。それは『だが男は、女よりも一段上位である』という箇所です。この一段については他の節で説明がなされています。『男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。』(アンニサー章34節)

ある女性が知能・体力的に関して男性と同じ力をもっていたとしても、それは妊娠そして授乳期にはどうしても失ってしまいます。ですから、男性が生活全般の責任者となり、女性に対して子どもの教育のために家にいる時間を与え、家庭での安らぎを可能にするのです。

また社会の一部である夫婦は社会におけるそれと同じように二人の間で異なる意見がでてくるはずです。そのときにその意見をまとめる役が必ず必要となります。

原文:ユースフ アルカルダーウィー氏
翻訳:ファーティマ佐久間
アラブ・イスラーム学院翻訳・文化講座担当

 

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