バンドン会議
戦後、アラブ諸国と日本との交流の出発点となったのは、1955年、インド ネシアのバンドン会議における日本とアラブの代表の接触であった。日本ばかり でなく、ナセルをはじめとするアラブ諸国もこのバンドンで、戦後の国際政治に 大きく台頭してきたアジア・アフリカ諸国に開眼した。ここで出合ったナセル大 統領と高碕達之助主席代表の友情は、のちの高碕通産相のエジプトへの3000 ドルの経済借款となり、1963年のカイロでの再会で深められた。
バンドン会議当時の外務省は、バンドンのアラブ諸国の代表と国交樹立を話し 合うとともに、日本に立寄るよう招待し、レバノン、エジプト、シリア、イラ ク、北イエメンの首相、外相の来日が実現した。これらの代表は日本政界との接 触や産業視察を行い、日本への信頼を深めたという。
高碕さんは、バンドン会議で親しくなったナセル大統領が演説を行うたびに、 電報を打って意見を具申したり、新聞に出た大統領の写真をみて、ネクタイも大 部古くなったようだと大統領の好きだったストライプの絹製のものをたくさん 贈ったそうだ。
1965年、土田豊駐エジプト大使とともにナセルに会った朝日の衣奈企画部 長(当時“ツタンカーメン展”担当)よれば、大統領は会談中、「高碕氏が亡く なってしまった」と淋しくつぶやいていたそうだ。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
(2008年1月8日更新)
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