アラブ案内
 

【民衆の生活 7】

ダマスカスのウマイヤ・モスクの中庭で、礼拝の前に身体を洗い清めている信者たち。
ダマスカスのウマイヤ・モスクの中庭で、礼拝の前に身体を洗い清めている信者たち。

ウマイヤ・モスクを清掃する夫婦。
ウマイヤ・モスクを清掃する夫婦。
アバーヤの着用を求められる外国人。
アバーヤの着用を求められる外国人。
顔、手、足を洗う信者。ベイルート。
顔、手、足を洗う信者。ベイルート。

アンマン市にあるフセイン・モスク。
アンマン市にあるフセイン・モスク。
金曜日正午の集団礼拝。アンマン。
金曜日正午の集団礼拝。アンマン。
ドーハのマスジット・アル・カビールで、メッカに向かって礼拝する信者。
ドーハのマスジット・アル・カビールで、メッカに向かって礼拝する信者。

バクダットのモスク内で静かにコーランを読む信者。
バクダットのモスク内で静かにコーランを読む信者。
メッカ巡礼に集まってきた人々のための集団テント。
メッカ巡礼に集まってきた人々のための集団テント。


暮らしに生きる宗教

 長い間、西欧や日本では、イスラム教と言えば、やれ4人妻だの、やれ「剣か コーランか」といった興味本位の関心のもたれ方がされたり、西欧の視点から眺 められてきた。

 しかし、われわれが、一見古くさい、時代遅れと勝手に思い込んでいるイスラ ムの教えの中には、仏教、キリスト教と並んで世界3大宗教の一つたるにふさわ しい合理性と進歩性が含まれていることを忘れてはならない。

 イスラム教信徒の数は、全世界に6億人もいるといわれ、今なお東南アジアや アフリカなどにも増え続けていることは、この教えの正しさからくる生命力を物 語っている。ボクシングの世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリがイス ラム教徒であることは誰もが知っていることだ。

 イスラムの根本は、唯一の神アッラーへの絶対的帰依であり、「アッラーの前 に人間はすべて平等」という2つの単純かつ明快な原理につきる。

 マホメットは西暦630年、メッカに入城し、カーバ神殿内外の偶像を破壊し た時、「今や異教時代は完全に終りを告げた」、「……一切の階級的特権も消滅 した。地位と血筋を誇ることはもはや何人にも許されない。諸君はすべてアダム の後裔として平等であって、もし諸君の間に優劣の差があるとすれば、それは敬 神の念の深さによってのみ決まるのである」と高らかに宣言している。

 日本ではよく、アラブのタクシー運転手は祈りの時間がくると車をとめメッカ の方向に向かってお祈りすると揶揄的に報道されているが、たしかに勤務時間中 というのは問題があるにせよ、「神を畏れる心」などすっかり忘れ去ってしまっ ている人の多い現代、むしろ貴重な心掛けではないだろうか。

 イスラム教徒の守らねばならない5つの義務とは、この1日5回の礼拝のほか に、喜捨、断食、巡礼、信仰の告白とされている。

 喜捨とは、富める者の貧しい者への暖かい思いやりであるし、断食にしても現 代人にとって珍奇な風習と映るかも知れないが、個人的な魂の修練とは別に、苦 しみに耐えながら貧者のひもじさを思いみる真剣な内省なのである。

 メッカへの巡礼にしても、世界から集まる百万人近い信徒たちと共通の神を信 じる教友としての連帯感を強める尊い機会なのである。

 こうした道義、倫理に貫かれたイスラムが現代の社会の中にどのように適応 し、その真価を発揮していくか、国の近代化という課題とともに、アラブをはじ めとするイスラム諸国にとって大きな課題になっている。

 たとえば、上からの急激な近代化を試みたトルコ、清教徒主義ともいえる宗教 的厳格主義を実施するサウジアラビア、コーランの現代的解釈によるイスラムの 近代化を図ったモハメッド・アブドゥの伝統をもつエジプト、マルクス主義、資 本主義では解決できぬ政治、経済問題等の最終的解決を図り、イスラム福祉国家 をめざすリビア、原始イスラムへの回帰を図るイランなど、イスラムの活力をめ ざす様々な試みがされている。


筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)

(2007年10月30日更新)

                

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