劇
メソポタミアやファラオの時代にすでに宗教劇などが存在していたが、演劇は 中世のアラブではイスラムの影響もあって衰微した。しかし今から百年ほど前か ら、民衆の中に継承されてきた語り物文学や16世紀にトルコから来た影絵人形 劇の伝統の上に、近代ヨーロッパの演劇運動も次第に展開されていった。
アラブの近代演劇が開幕したのは、スエズ運河の開通を祝ってカイロのオペラ 座が開かれた1869年頃であった。このオペラ座のこけらおとしに初演するた め、ベルディに歌劇「アイーダ」の作曲が依頼されていたが、おりあしく、普仏 戦争の勃発の影響を受けて作曲が間に合わず、初演は「リゴレット」だったとい う。優れた音響効果をもつイタリア式の美しいオペラ座は惜しくも1974年に 焼失した。
イラクでは1882年にモスールで最初の演劇が上演され、専門の劇団は 1920年に誕生した。1932年カイロのアズハル大学総長が、舞台俳優にな ること、とくに女性が舞踊をすることを厳しく非難したことから大論争がひき起 されている。この分野で先駆的役割を果したのは、キリスト教徒のシリア人で あった。
筆者はカイロでチェホフの「桜の園」、モリエールの「才女気質」、ユーセ フ・イドリスの現代風刺劇「ファラフィール」などを見た。バクダットで見た創 作劇「侵入者」は蒙古軍の襲撃後の王宮内の葛藤を描いたもので、衣装、演技等 抜群であった。ベイルートではフェイルーズの歌劇を2つ見たが、新しい国民的 オペラを育てようという意欲が舞台にみなぎっていた。またカイロの人形劇団は 創立後間もなく国際賞を獲得している。
広く世界に窓を開き、アリストファーネスからベケットまで各国の演劇に学び ながら、新しい現代劇を創ろうという姿勢の中にアラブの伝統を見る思いがし た。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
(2007年5月29日更新)
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