アラブ案内
 

【植民地からの解放 2】

アブドゥル・アジーズ・イブン・サウド
アブドゥル・アジーズ・イブン・サウド。
イブン・サウドがラシード家を奇襲して奪回したリアド城
イブン・サウドがラシード家を奇襲して奪回したリアド城。
ベイルート・アメリカ大学
ベイルート・アメリカ大学。

ファイサル王子、アラビアのローレンスらのアラブの反乱軍がトルコ駐屯軍を背後の山岳から急襲し勝利した古戦場。アカバ湾
ファイサル王子、アラビアのローレンスらのアラブの反乱軍がトルコ駐屯軍を背後の山岳から急襲し勝利した古戦場。アカバ湾。
アラブの反乱のファイサル王子
アラブの反乱のファイサル王子。


ワッハービ運動(アラビア半島)

 18世紀の中葉サウジアラビアのムハンマド・アブデルワッハーブは、堕落し た聖者崇拝を排撃して純粋なイスラムの原理に帰れという宗教運動をおこし、サ ウド家と結んでサウド・ワッハーブ王国を建設した。その後、王国はエジプトに 二度亡ぼされたが、1920年、クウェート亡命中のサウド家の王子、イブン・ サウドは僅か数十名の手兵をひきいて、宿敵ラシード家の本拠リアド城を襲って 奪回し、1930年に、サウジアラビア王国を建国した。


アラブの目覚め運動(東アラブ)

 一方、シリア、レバノン地方では、19世紀なかばに、ナーシフ・ヤジージー やブトルス・アルブスターニーらアラビア語言語学者が、アメリカのプロテスタ ント宣教師とともに近代アラビア語の再生によるアラブの文芸復興を展開した。

 ベイルート・アメリカ大学は彼らの手で明治維新より2年前の1866年に創 立、また聖ヨセフ大学は1874年にジェスイット派宣教師によって創立され た。以来これらの大学からは多数の優れたジャーナリスト、学者が輩出し、ベイ ルート、カイロを中心に学術、出版、ジャーナリズム運動が盛んになった。


アラブの反乱(アラビア半島東アラブ)

 第一次大戦中、イギリスは、メッカの大守フセインにたいしドイツの盟友トル コへの反乱の代償としてアラブの独立を約束、一方、スエズ運河の防衛を強める ためユダヤ人にパレスチナにおける民族的郷土の建設を約束した。このイギリス の二枚舌外交が、のちに中東紛争という、この地域の住民に悲劇をもたらすパレ スチナ問題の導火線となった。

 フセインの第2王子ファイサルは、イギリスの考古学者“アラビアのローレン ス”の力を借りながら、アラブの反乱を指導、1918年にダマスカスを攻略 し、1920年には、高まるアラブ民族主義を背景に「シリア連合王国」の独立 宣言までしたが、イギリスは、大戦中の1916年にフランスとの間に秘密裡に 結んだ「サイクス・ピコ協定」(戦後、東アラブを英仏両国によって分割するこ とを約束した協定)の筋書通り、アラブへの約束を反古にし、パリの講和会議の 中で、パレスチナとイラクをイギリスの、またシリア、レバノンをフランスの委 任統治領としてしまい、ファイサルは追放された。

 1920年に、イラクではイギリスの委任統治に反対する大規模な民族的反乱 が起こるなど、高まる民族主義の潮流に押され、翌年1921年には、ファイサ ルを国王とするイラク王国が誕生、1932年に委任統治を廃止させ、完全な独 立国となった。


筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)

(2007年3月6日更新)

                

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2007年 アラブ イスラーム学院