アラブ案内
 

【アラブ栄光の歴史 9】
〜イスラムの時代-1〜


イスラム教徒にとって、一生のうち聖地メッカへの巡礼はその義務であり願いである。世界各地からの巡礼者たちは“黒い石”に手を触れ接吻したのち、カーバ神殿の囲りを7周する。
聖なる黒い石
カーバ神殿にある聖なる黒い石。

メジナのモスク
マホメットとその妻アイシャを埋葬したメジナのモスク。
コーランの古写本
イスラム教徒の聖典コーランの古写本。カタール博物館。

イスラムの歴史
イスラムの歴史。


マホメットと4代カリフの時代
6世紀の後半、ビザンチン帝国とササン朝ペルシャの戦争により「絹の道」や紅 海貿易が衰退したため、アラビア半島のメッカは国際的中継貿易を独占して富み 栄えた。

570年頃メッカに生れたマホメットは、40才の時に唯一神アッラーの預言者 として、富裕階級の道徳的堕落と偶像崇拝を排撃し、アッラーへの絶対の帰依と 人間はみな平等というイスラム教を唱えた。

しかし、その革新思想のゆえにマホメットは622年、故郷メッカを追われ、 メッカからの移住者と彼らを迎い入れたメジナの住民数百名の信者からなるイス ラム信者の共同体ウンマをメジナに築きあげた。この年がイスラム暦元年となっ た。

マホメットの死後、高弟の4人のカリフ(後継者)は、イスラム布教の軍隊を進 め、シリア、エジプト、イラク、イランの大部分を征服することができた。アラ ブ人は賢明にも、彼らより遙かに先進国だったこれら地域の文化を摂取、その制 度、慣習を尊重し、住民の軍役免除の代償として地税と人頭税を課し、こうして 帝国の財政的基盤は確立された。マホメットの意図した社会改革は、正統カリフ 時代、次第に政治支配の様相を濃くしていき、第4代カリフ・アリが暗殺された あと、世襲制のウマイヤ王朝の樹立をみるにいたった。


筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)

                

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2006年 アラブ イスラーム学院