古代隊商都市
ローマ帝国とオリエントの交易の諸幹線の十字路にあたるシリア地方には、隊商 都市が多い。こうした隊商都市は、はじめは休息所にすぎなかったオアシスが交 易の市場に、ついに交通量の増大につれて都市にまで発展したのである。こうし た交易都市には、ダマスカス、アレッポ、アンマンのように今日でも繁栄してい るものもあるが、いくたの歴史の変遷の中で廃墟と化してしまったものも多い。
その最も著名なものは、ダマスカスとユーフラテス川の中間に位置するパルミュ ラで、ここはかつてシリアで1、2を争う隊商都市として古代世界の人々の生活 に大きな影響力をもっていた。
このパルミュラは、ローマとササン朝ペルシャの緩衝国家として、ローマの強い 支配を受けていたが、266年、夫王の暗殺のあと即位した女王ゼノビアは、パ ルミュラを首都とする独立国を宣言し、一時、ガザ、ダマスカス、アレキサンド リアまでにも及ぶパルミュラ王国を樹立したが、ついにローマに敗れて捕えられ 金の鎖と金の檻につながれて、ローマ市内を引き回されたという。
ヨルダン南部、死海と紅海の中間に位置し、800メートルの要崖にあるペトラ も、紀元前5世紀から紀元前1世紀にかけてナバタイ人の商業王国として栄え た。
幸福なアラビア
一方、古来、「幸福なアラビア」と呼ばれていた南イエメン地方は、土地が肥 え、雨量に恵まれ、乳香や没薬の中継貿易で富み、紀元前1000年代から、す でにミナ王国、サバ王国、ヒムヤル王国が栄えた。サバ王国のマアリブ・ダム は、今日のアスワン・ハイダムにも匹敵する巨大なもので、紀元前8世紀に完 成、紀元後5世紀半ばに崩壊、緑の沃野は荒廃したという。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
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