アラブ案内
 

【日本にとってアラブとは何か 1】
〜瞼の国、日本〜

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先日、テレビの中で、フォーク・シンガー・グループ、海援隊の武田鉄也が歌っていた。

  思えば遠くに来たもんだ
  振り向く度に故郷は
  思えば遠くに来たもんだ
  遠くなるような気がします……

ずいぶんいい歌だと思ったが、筆者には、地球の裏側にあたるアラブを訪れるたびに、日本がだんだん近くなるような気がしてならない。

かつて麻布にあった駐日エジプト大使館を訪れ、優れた外交官、詩人、愛国的軍 人であったオスマン・エベイド初代駐日大使に会うことができたのも、もう25 年前のこととなり、今振り返ると「よく長い道のりを歩んで来たものだ」としみ じみ思う。4年程前にモロッコのラバトのウダイヤ城址の茶屋から、寄せては返 す大西洋の荒波を眺めたとき、「遥々と来にけるものかな」という旅愁を噛みし めたものである。

しかし、遠いアラブに行くたびに日本が近く思われてくるのは一体何故だろう か。

思うに「人が外国に行くと愛国者になる」とか「合せ鏡」という言葉があるよう に、アラブには過去の日本、これからの日本の役割について考えさせる多くの材 料が散在しているからである。国際交流の意義を考える度に私の心に浮かんでく るのが次の詩である。

  「矢と歌の行方」H・W・ロングフェロー
  私は矢を大空に放った
  矢は私の見知らぬ大地に落ちた
  飛び去る矢は余りにも早く
  その行方を追うことなぞできはしなかった

  私は大空に向かって歌を唱った。
  歌は私の知らぬ大地に消えた
  流れゆく歌の行方を
  見定める力なぞ誰がもとう

  幾多の歳月が流れ去ったのち
  私は樫の木に矢が折れてささっているのを見た
  そして、いつかの私の歌がそっくりそのまま、
  友の心に宿っているのを知った。

俳優森繁久弥が好んで朗読し、戦時中の旧制中学生だった筆者の英語リーダー第 三巻の中のこの詩にもあるように、アラブにはかつての若々しい日本の姿が驚く ほどにみずみずしく残っていて思わず驚くことがある。

日露戦争における日本の勝利と、近代化の道を驀進する日本を讃えたナイルの詩 人ハーフェズ・イブラヒームの詩「日本の乙女」、カイロ郊外のヘルワンにある 日本庭園、戦前アラブの大都市では、父親が一家団らんの夕べに、日本商品を子 供に示しながら、「これがアジアの東の果てにある日本でつくられた繊維品だ。 お前たちも大きくなったら是非自分の国を日本のような工業国にしておくれ」と 諭したという話、あるいはあの太平洋戦争の緒戦のマレー沖海戦でイギリスの主 力艦“プリンス・オブ・ウェールズ”や“レパルス”を日本海軍が撃沈したと き、カイロでは期せずして提灯行列が行われたというエピソードなどなど。

こうしたアラブが抱く日本のイメージは、ヨーロッパ諸国による長い植民地化の 桎梏にあえぐアラブ人の英雄を待望する心情の中で、多分に美化され増幅された 「瞼の国、日本」の姿が、その網膜に焼きつけられ続けてきたためだろう。


筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)

                

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