アザーンが聞こえる風景
 

【ダマスカスで向かえたラマダーン】
 

ダマスカスで向かえた最初のラマダーン(アラブ暦の9番目の月)は私がムスリマ(イスラーム教徒)として迎えた2回目のラマダーンでした。皆さんご存知のように、ラマダーン月にはイスラーム教徒は早朝の礼拝の時間から日没まで断食をします。

その間は、食べ物はもちろん水などの水分も採らないのですが、日没後は通常どおり食べたり飲んだりすることができます。友人の一人は1日中飲み食いできない日が1ヶ月続くと思ったらしく、「そんなことして生きていけるの!?」とびっくりしていましたが、今ここで皆さんに紹介したとおり、夜は食べれるわけですから全く問題はないわけです。

また1日に取る食事回数が減る人もいますし、食べる量も減る可能性があるわけですから、ほとんどの人たちがかなり栄養のバランスのとれた食事を心掛けているように思えました。ちなみに、預言者ムハンマドの伝承集にも「断食をして健康になりなさい」という言葉があります。

さて、ダマスカスで迎えた最初のラマダーンでは体の調子を崩してしまったこと、プラス当時私は自炊していたのですが、何せ日本にいた頃は全く料理をしたことが無かったので、相当につらい日々が始まってしまいました・・・
1日断食した後で「失敗した不味い料理を食べる」という行為はかなりきついものがあります(しかも、そういう時に限って大量に作ってしまうんですよね…)。

当時の私は、ムスリマになる前から知っていたシリア人の友人M宅のすぐ近くに住んでいました。

「一人で食事をとっていたら病気になってしまうよ! 義務の断食をきちんとやり遂げるために、ラマダーン中は毎日私の家でイフタール(断食を解くための日没後の食事)をとりなさい! ここはあなたのうちなのだから!!」とある日彼女は言いました。

最後の言葉はアラブ人が、よく客を歓待する時に使う表現ですが、彼女の好意に甘えてイフタールを毎日そこで食べるようになりました。
彼女の家ではご主人がその当時職を失っていたため、4人の子どもたちを抱え、経済的にはたいへんな時期でしたが、そんなときでも毎日やって来る私に嫌な顔をせず、むしろ私が他の人の家に食事に招待されて顔を見せなかった日には「どうして来なかったの!?」と私を責めるくらい、温かく私を迎えてくれたのでした。
子どもたちも私に良く懐いていて、年長の娘(当時小学校6年生でした)と長男(当時4年生)は時々アラビア語を習いたての私の勉強を手伝ってくれていました。
そんな彼らですから、私が彼等の家でイフタールをとることをとても喜んでいてくれたのですが、ある日、この長男は、ふと疑問に思ったのでしょう。私のいる前で友人に「ママ、彼女のおうちには食べ物がないの?」と尋ねたのです。彼にはまったく悪気はなかったのですが、慌てたのは私の友人です。「だまりなさい!」と一喝していました。

また私の先生の家では断食をしている者たちのあいだで「ラマダーン競争」というものが行なわれていました。これは単なる冗談で言っていたのですが、日没後の礼拝を呼びかけるアザーン(断食をといてよいという合図でもある)がなる前に一人一人が自分の皿に料理をわけ、スプーンを右手で持ち、いつでも食べられる状態にしておくのです。そして「アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」の「ア」という音が聞こえたら一斉に食べ始めるというものでした。
こんなことも今となってはいい思い出です。

ラマダーンはアッラーからの祝福に溢れた月と言われていることもあり、ムスリムたちはラマダーン中には夜の礼拝の後、「タラーウィーフの礼拝」というものをモスクで(自宅でもできますが)行ないます。

義務の夜の礼拝(イシャーの礼拝)のためのアザーン(礼拝への呼びかけ)が聞こえてくるとモスク前の階段を男性たちが駆け抜けていきます。私も礼拝に遅れそうな時は一緒になって走っていましたが、その時「日本でも早くこのような状況になればいいなぁ…」と思っていました。

1日の断食が終わり、更にこのタラーウィーフの礼拝を行なうと最後の方はフラフラになりますが、非常に幸福な時間でもありました。


筆者:ファーティマ佐久間
アラブ・イスラーム学院翻訳・文化講座担当

 

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