アザーンが聞こえる風景
 

【ダマスカスで学ぶ女子留学生たち】
 

1995年8月、私はアラビア語とイスラーム学の勉強のためにシリアの首都ダマスカスにあるアブンヌール学院に留学しました。主にアラビア語習得とイスラーム学の基礎を学んだ外国人向けコースで2年(授業はアラビア語オンリーで進められます)、そしてイスラーム学を大学で学ぶために必要な資格を得るためのコース1年をスーダンの大学のダマスカス校付属で、最後にリビアの大学のダマスカス校である大学での勉強を4年、と合計7年もの期間をダマスカスで過ごすこととなりました。

留学3年目からはクラスの大半はシリア人となり、スピード・授業内容がネイティブのシリア人に合わせられるため、かなり厳しい状況での勉強となりました。しかしそのような中で、世界中からやってきたムスリマ(イスラーム教徒の女性)たちと知り合えたことはとても素敵なことでした。ここで「ムスリマたち」と女性限定で書いたのは、ムスリム人口の多い多くの国では、男女別に授業が行われることがほとんどだからです。

イスラーム世界では女性が学ぶための門戸が非常に広く開かれており、未婚の女性はもちろん、既婚者、子どもがいる女性、それこそ孫がいる女性も大学で学んでいました。ですから私が知っているだけでも、14才から60才くらいという幅広い年齢層の女性たちが勉強に来ていたのです。この状況にはイスラームの影響が色濃く出ています。

預言者ムハンマドの伝承のなかにも「知識を求めることはムスリム男性・女性の義務である。」「揺りかごから墓場まで(つまり死ぬまで)知識を求めなさい。」という言葉があります。またこの状況が実現するには、男性・女性の先生方・教授たちの寛容さと愛情も必要でした。

ある時「迷惑をかけるから…」と子どもを連れて教室から出て行こうとした友人がいましたが、その時先生は「私は何も気にしないから教室に残りなさい。何も分らないと思っていてもこの子が知識を得るための場所にいたということでアッラーが光を与えて下さるかもしれないのだから。あとで何がその子にいい影響を与えるかわからないのですよ。」と仰りました。それから彼は「子育てという大変な中で勉強に来ているあなたたちの学習への関心と努力に感謝するとともに、そんなあなたたちを誇りに思います。」と仰りました。

話がそれましたが、勉強中知り合った女性にはシリア、アルジェリア、モロッコ、パレスチナ、スーダン、ソマリアなどのアラブ人はもちろんのこと、ロシア人、マレーシア人、中国人、ウイグル人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、トルコ人、インドネシア人、タイ人、チェチェン人、タジキスタン人、ウズベキスタン人、タタール人、グルジア人、ボスニア人、マケドニア人、ナイジェリア人たちがいました。

私たちは国籍は異なっていてもアラビア語で意思疎通ができるということ、それから同じイスラーム教徒ということで、その結びつきは非常に強いものでした。

とくに仲が良かったのは中国人のアーイシャでした。勉強面では結婚・出産・子育てと忙しかった彼女を助けることが多かったのですが、他の生活面においては彼女にはいろいろとお世話になりました。

病気の時も様子を見に来てくれたり、食生活に関しても彼女が自宅で中華料理店を開いたため、他の友人たちとともにお世話になりました。
日本ではイスラーム教徒向けの中華料理店など行ったことが無かったので(普通のところでは豚肉が使用されるため食べられません)、これには感動しました。いくらイスラーム教徒でも中国人であればイスラーム教徒にとって合法な中華料理をつくるわけです。久しぶりに餃子などを食べた時には「まさかシリアに来て中華を食べるようになるとは…」と思い、とても嬉しかったのを覚えています!!

そんな彼女たちとの会話の中で一番盛り上がるのはやはりイスラームに関する話です。留学1年目の、まだアラビア語を使いこなせなかった時期でさえもそれぞれがイスラームに対する熱い想いを語るのです。
ただしアラビア語を上手に話せないのは事実ですから、会話中には多くのことを頭で想像しつつ話を聞かなければなりません(笑)。

ある時、私は既に紹介しました中国人のアーイシャとイスラームについて熱く語り合っていましたが、2人の会話の殆どが「ハーカザー、ハーカザー」そのように、という意味のアラビア語)」で成り立っていることに気付き2人で大笑いしたことがありました。

またマケドニア出身の友人は「ファーティマ、このクルアーンの部分読んだことある?」と最近彼女が知ったクルアーンの一説を紹介してくれました。それはアルクアーン第2章アルバカラ章の284節から286節の部分でした。あとで2人でそこに書かれている意味を知って感動したのを覚えています。その意味とは次のようなものでした。

『天にあり地にある、凡てのものはアッラーのものである。あなたがた自身の中にあるものを、現してもまた隠しても、アッラーはそれとあなたがたを清算しておられる。アッラーは、おぼしめしの者を赦し、またおぼしめしの者を罰される。アッラーは凡てのことに全能であられる。〔284〕

使徒は、主から下されたものを信じる、信者たちもまた同じである。(かれらは)皆、アッラーと天使たち、諸啓典と使徒たちを信じる。わたしたちは、使徒たちの誰にも差別をつけない(と言う)。また、かれらは(祈って)言う。「わたしたちは、(教えを)聞き、服従します。主よ、あなたの御赦しを願います。(わたしたちの)帰り所は、あなたの御許であります。」〔285〕

アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない。(人びとは)自分の稼いだもので(自分を)益し、その稼いだもので(自分を)損なう。「主よ、わたしたちがもし忘れたり、過ちを犯すことがあっても、咎めないで下さい。主よ、わたしたち以前の者に負わされたような重荷を、わたしたちに負わせないで下さい。わたしたちの罪障を消滅なされ、わたしたちを赦し、わたしたちに慈悲を御くだし下さい。あなたこそわたしたちの愛護者であられます。不信心の徒に対し、わたしたちを御助けください。」〔286〕』
 
このようにダマスカスで出会った友人たちとは日本に帰国した現在でも連絡を取り合っています。まだ勉強を続けていたり、帰国して今まで学んだ知識を人々に伝えている人たちもいますが、それぞれがアッラーがその人に定めたそれぞれの場所で活躍しています。

アッラーフ ユワッフィクフンナ!
(アッラーが彼女たちを成功させてくださいますように!)


筆者:ファーティマ佐久間
アラブ・イスラーム学院翻訳・文化講座担当

 

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