1996年高校を卒業した時、私は進路を決めなければなりませんでした。3つの選択がありました。
その1、アラビアの大学で医学の勉強をする。
その2、世界的に知られているアラムコ社の奨学金でアメリカに留学する。
その3、アラビア石油の奨学金で日本に留学する。
両親は18歳の息子を海外に行かせることを心配していました。家族の中にはサウディでよく知られているシェイクや宗教団体に属しているおじさんたちがいて、彼らは私が海外に行って、変な考え方を身に付けてしまうのではないかと海外留学には強く反対していましたので、彼らには医学部を勧められました。
また、アメリカに行くことが決まった仲間や、サウディの有名なビジネスマンには、「日本語を話してどうするの?」、「アメリカの大学はもちろん、サウディ大学の卒業生のほうが日本の大学の卒業生より評価される」、「日本語だけを学ぶために一年半もかけるのはもったいない!」、「日本の優秀な人材や学生もアメリカに行くに決まっている!」などと聞かされて、強くアメリカに行くように言われました。アラムコ社の奨学金でアメリカに留学すると、帰国時に仕事が保証されて、留学期間も職歴として計算されるのです。アラビア石油の場合、そのようなメリットはありませんでした。「アラムコ社から日本に留学させて頂けませんか?」とアラムコ社の担当者に尋ねたら、「日本!!なぜアメリカではなく、日本に行きたいのか分からないけど、とにかくアラムコ社にはそんな制度はないよ!」と笑われました。
一方、私が奨学金で通っていていた私立高校であるDar Al-Fikr Schoolsのオーナーであるシェイク ヒシャーム ザイナルをはじめ、多くの方々に熱く日本留学を勧められました。「アメリカのハーバード大学やMIT大学を卒業したサウディ人は沢山いるけど、日本の有名な大学の場合はほとんどいない」、「日本語、英語、アラビア語が話せたらユニークな人材になる」と言われました。
何よりも、私が勉強したい経営システム工学科においても、先進国になった日本は欧米とはちがった考え方を持っているに違いないと思いましたし、なぜ日本が先進国になったのか、ぜひその秘密を知りたかったのです。
最終的に、多くの方々の意見を聞いた上で、マッカに行きイスティハーラの礼拝をしました。それは心で何か迷いを感じたときの祈りです。カアバ神殿の前でアッラーに「私を正しい道に導いてくださいますように」と祈りました。
家に帰り、両親に「日本に行きます!」と言うと、「イサムの人生はイサムが決めるべきだ。責任を持ってがんばりなさい! ずっと応援をしているから!」と言われました。1か月後、日本での生活が始まりました。
そして、一年後日本に行かせてくれなかったアラムコ社が初めてサウディ学生のための日本留学プログラムを開始しました。
執筆:ブカーリ イサム
早稲田大学 大学院理工学研究科
アラブ・イスラーム学院文化・広報担当 |
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