アラブ青年の日記
 

【イラク人の兄弟】
 

1998年のことでした。サウディに帰る途中、シンガポール空港でインターネットカフェに入って、当時数少ないアラビアのオンライン新聞を読んでいました。そして、アナン氏がイラクと条約を結び、予定された空爆が停止されたというニュースを読んで、涙が出るほど嬉しかったです。

ちょうどその時、14年前、私が小学校時代に出会ったイラク人の友達のことを思い出していました。彼の名はハーリド君。小学4年生のときうちの学校にやってきて、彼も私もサッカーが好きだったことからすぐに仲よくなりました。たまに、私の町で見たことのない雪のことについても彼は語っていました。イラクである日雪が降ったので皆が授業をサボって雪で遊んでいると、怒っていた先生が皆を見て一緒に雪で遊び始めたというエピソードは頭から消えません。

1989年にイラク・イラン戦争が終わり、ハーリド君は家族でイラクに帰ることになりました。最後の日に、ハーリド君に小さなプレゼントと手紙を渡しました。小学校5年生の時書いた手紙ですが、今でも内容をちゃんと覚えています。手紙の中で、私は次のようなことを書きました。「明日ハーリド君はイラクに行くけど、きっといつかまた会える。私たちがどんなに離れても同じイスラーム教徒で同じアラブ人の兄弟だから。サウディ人、イラク人、エジプト人、シリア人、パレスチナ人は皆同じ兄弟だ。この世で会わなくても、きっと天国で会えるね!」。

ハーリド君がイラクに帰った2年後、第二次湾岸戦争が始まりました。戦争を体験したことがないサウディ人は皆慌てて、家に食べ物と飲み物を沢山買い置きして、科学兵器の影響を弱めるために家の窓という窓を閉めて、さらにステッカーで密閉し、外の空気が入ってこないようにしました。サウディ全国で警報が鳴ったら、電気を消し、水で濡らしたタオルで顔を覆いました。その時の恐怖は一生忘れることはないでしょう。

戦争中、CNNでバグダッドの空が花火のようになっている姿を見るたび、胸が痛みました。飛行機の音を怖がって泣いている弟を見ると、実際に空爆されているバグダッドの子供たちはどうしているのだろうかと考えてしまいました。

そんな時はいつもハーリド君の姿が頭に浮かんでいました。ハーリド君は今どこにいるのだろう。生きているのだろうかと心配していました。その時の空爆で傷ついてないのか、長い経済封鎖の影響で大事な人を失ってはいないだろうか…今でも毎日毎日悩み続けています。

ハーリド君と別れて14年も経ちますが、今でも心の中の大切な友人だと思っています。私には世界情勢を変える力はないし、一人で平和な世界を実現することは不可能です。

今私にできることは、イラクの人たちの中で大切に思っている仲間や兄弟がいる、ということを世界に知らせることだけです。そして、イラクの国民をはじめ、全人類が平和な日々を送れるようになることを心の底から祈り続けるしかありません。

執筆:ブカーリ イサム
早稲田大学 大学院理工学研究科
アラブ・イスラーム学院文化・広報担当

 

 

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