十字軍の歴史
 

【十字軍の追放】


 親愛なる読者の皆様、ヒジュラ暦7世紀半ば―西暦13世紀―、アイユーブ朝 滅亡にエジプトとシャム(シリア地方)を支配したマムルーク朝は、十字軍との 戦いを征し、彼らをシャムの地から最終的に追放することに成功しました。それ は、マムルーク朝の3人の統治者、アッ=ザーヒル・バイバルスと、アル=マン スール・カラーウーン、そして、アル=アシュラフ・ハリール・ビン・カラー ウーンが成し遂げたものでした。

 バイバルスは、ヒジュラ暦664年―西暦1265年―に十字軍と戦いまし た。彼の遠征は、シャムにおける十字軍の存在に反対するものでした。そして、 バイバルスは彼らから、カイサリーヤ、アルスーフを征圧し、翌年にはサファド を征圧して、小アルメニアを攻撃しました。それから、ヤーファ(ヤッファ)を 征服し、シャムに残存する最強の十字軍国家アンタキヤ(アンティオキア)を包 囲して、ヒジュラ暦667年―西暦1268年には同国を征服しました。

 アンタキヤ陥落は、最も大きな重要性を持っていました。それは、シャムで十 字軍が築き上げてきたものの崩壊を意味していました。もはや彼らには、シャム の大都市の中では、アッカ(アッコン)とタラブルス(トリポリ)しか残っていな かったのです。
 バイバルスはまた、ヒジュラ暦669年―西暦1270年―、キプロス島を攻 撃しました。国王が十字軍を支援したためでした。

 西暦1279年にカラーウーンがスルタンになると、彼は、アル=マルカブ要 塞を攻撃し、同地を征圧しました。そして、ヒジュラ暦688年―西暦1289 年―にタラブルス(トリポリ)を攻囲し、激戦の末、陥落させました。それに続 いて、タラブルスに属する多くの都市―特にベイルート―もカラーウーンの手に 落ちました。こうして、十字軍に属するシャムの地は、アッカとサイダ(シド ン)、スール、ハイファだけとなったのです。

 それから、シャムの十字軍の残滓を一掃する役目が、カラーウーンの息子ア ル=アシュラフ・ハリールに回ってきました。彼は、ヒジュラ暦689年―西暦 1290年―に統治権を持つと、軍を率いてアッカに向かい、同地を10日間攻 囲しました。そして、投石砲によって攻撃し、ヒジュラ暦690年―西暦 1291年―、アッカはアル=アシュラフの手に落ちました。

 アッカが陥落すると、彼の軍隊は、十字軍に属する残りのシリア沿岸地方解放 のために進軍しました。そして、サイダ、スール、ハイファを征圧し、シャムか ら最後の十字軍を追放して、2世紀近く続いた十字軍の危険を、シャムの地から 退けたのです。
 こうして、イスラーム国家史上の重要な一時代が終わりを告げたのでした。

 それでは、イスラーム国家史の他の時代の話で、また皆様とお会いしようと思 います。至高なるアッラーが恵んでくださる再会の日まで。皆様、ありがとうご ざいました。


筆者:リハーブ・ザハラーン

(2007年6月26日更新)

                

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