十字軍の歴史
 

【第3回十字軍遠征】


 エルサレム王ギー・ド・リュジニャンは、サラーフッディーンに釈放される と、スール(今のレバノンの都市)へ移りました。そして、ムスリムと戦わない というサラーフッディーンとの約束を破り、サラーフッディーンが十字軍から奪 還した領土を取り戻すために軍を召集することを、スールの領主と合意しまし た。

 ギー・ド・リュジニャンは、西ヨーロッパの国王たちに特使を派遣し、ムスリ ムの手からエルサレムを奪還するための救援要請をしました。そして、ムスリム との戦いと、第3回十字軍遠征のための軍隊が召集されたのです。この遠征で指 揮をとったのは、ヨーロッパの主要な国王たちで、ドイツ皇帝(神聖ローマ皇 帝)フリードリヒ1世(バルバロッサ)と、フランス国王フィリップ2世、そし て、英国の獅子心王リチャード1世でした。この遠征軍は、それぞれが自国を出 発して、アッカ(アッコン:パレスチナの港町)を目指しました。そしてやがて アッカに到着し、同地を攻囲しました。

 サラーフッディーンは十字軍の手からアッカを救おうと試みるのですが、叶わ ず、その危険な情勢を見て取ると、タバリーヤ(ティベリア)、ヤーファー (ヤッファ)、アルスーフ、サイダ(シドン)の軍事施設を破壊するよう命じま した。それらの都市が十字軍の手に落ちないようにするためです。

 西暦1190年3月末、フリードリヒ1世は軍を率いて小アジアの海岸に到着 しましたが、同地の川で溺死してしまい、アッカにたどり着くことができたの は、兵士1000人ほどでした。それと時を同じくして、リチャード1世獅子心 王とフィリップ2世はアッカに到着し、十字軍はアッカ征服に成功して、ヒジュ ラ暦587年―西暦1191年―に、アッカは十字軍の手によって陥落しまし た。

 その後、フランス国王は病気のため、サラーフッディーン軍との対戦をリ チャード1世に託し、フランスへ帰国しました。リチャード1世は、アルスーフ において、サラーフッディーン軍に対して限定的勝利を収めたのですが、ヤー ファで熱病を患い、サラーフッディーンに休戦を求める使者を遣わしました。

 こうして、ヒジュラ暦588年シャアバーン月―西暦1192年2月2日―、 「ラマラ協定」として知られる休戦協定が、サラーフッディーンとリチャード1 世との間で結ばれました。その条項は以下の通りです:

1―この協定による休戦期間は、3年間とすること。
2―十字軍は、開国した沿岸諸国―スールとヤーファーを保持すること。
3―エルサレムに十字軍の司教を置き、「真の十字架」は彼らに返還されること。
4―キリスト教徒は、納税の義務なしにエルサレムを巡礼すること。
5―ムスリムとキリスト教徒は、互いの領土を通過する自由を保障されること。

 そして、ヒジュラ暦584年サファル月27日―西暦1193年3月―の水曜 日、サラーフッディーンは亡くなりました。しかし、イスラームのジハード史に おける彼の地位は永遠に生き永らえ、決して忘れられることはないのです。

 それでは、また次回お会いしましょう、インシャーアッラー。


筆者:リハーブ・ザハラーン

(2007年5月1日更新)

                

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