十字軍の歴史
 

【東方の鷲】


 親愛なる読者の皆様、今日は、歴史が今尚語り継ぎ、栄誉を称える偉大なる騎 士であり、最も偉大なる指揮官の一人についてお話しましょう。それは、英雄サ ラーフッディーン・アル=アイユービー。出自はクルド人で、北イラクのティク リートの出身です。

 彼は、聖クルアーンを暗誦し、騎士道や戦術についての教育を受けて、ハラブ (アレッポ)のスルタン、ヌールッディーン・マハムードに奉じました。そし て、ヌールッディーンは、サラーフッディーンと彼の叔父アサドッディーン・ シールクーフをエジプト遠征の指揮官として派遣しました。

 サラーフッディーンは、ヌールッディーンから十字軍に対するジハード(聖戦) を引き継ぎました。それは、叔父シールクーフの死後、サラーフッディーンがエ ジプト・ファーティマ朝のハリーファ(カリフ)、アル=アーディドの宰相と なった後のことであり、また、彼がエジプトをファーティマ朝の支配下からアッ バース朝への帰属に回復した後のことであり、そして、ヌールッディーンの死 後、彼がエジプトとシャムを独立させ、エジプトで成立させた国家アイユーブ朝 に統合した後のことでした。これにより、サラーフッディーン・アル=アイユー ビーは、十字軍を獅子の両あごの間に置き、十字軍へのジハードのために、イス ラーム勢力を団結させたのです。

 サラーフッディーンは、ヒジュラ暦547年―西暦1178年―に、エルサレ ム王ボールドウィン(ボードワン)4世と休戦協定を結び、エジプトとシャム (シリア地方)との通商の自由は、その協定の主項目として条件付けられていま した。以前から、エジプトとシャムを結ぶ道は、ムスリムと十字軍の争いで危険 に晒されていたのです。しかし、フランス人のルノー・ド・シャテヨンがその途 中のカラク(今のヨルダンの都市)公になると、その危険はますます増大して いったのでした。

 当時、ムスリムたちの間でこの人物は、「アルナート」という名で知られてい ました。
 アルナートは休戦協定に違反し、自分の領土を通るキャラバン隊に通行税を課 したため、ムスリムと十字軍との関係は緊張していきました。それからアルナー トは、紅海沿岸のイスラームの港に破壊的な攻撃を仕掛け、ムスリム巡礼者の道 を閉ざそうとしたのです。

 そのため、サラーフッディーンは、アルナートを阻止し、紅海のアルナートの 船団を破壊するために、彼の弟で、エジプトの彼の副王でもあるアル=マリク・ アル=アーデルを派遣しました。そして、ホサームッディーン・ルゥルゥを指揮 官に任命して船団を送り込み、ヒジュラ暦578年―西暦1183年―、ホサー ムッディーンはその使命を全うして、紅海の十字軍を捕虜にしました。

 それから、ヒジュラ暦581年―西暦1186年―、サラーフッディーンはエ ルサレム王と協定を結び、その条約項目を遵守しました。しかし、アルナート は、カイロからダマスカスに向かうムスリムのキャラバン隊を襲い、隊の荷と同 行者を強奪し、協定に違反しました。サラーフッディーンは、捕らえられた人々 の解放と、奪われた荷の返還を求めましたが、アルナートはそれを拒みました。 そのため、サラーフッディーンは怒り、アルナートが自分の手に落ちたならば、 彼を自分で処刑すると誓い、ジハードを宣言して、十字軍と対戦するために軍隊 を結集したのでした。

 そこで、当時のエルサレム王、ギー・ド・リュジニャンは、タバリーヤ(*テ ィベリア:ティベリアス湖、ガラリヤ湖畔)を救うべく、十字軍の進軍命令を出 しました。そこで十字軍は、アイン・サフリヤの丘隆上の防塞要衝を離れ、タバ リーヤへと続くハッティーンの谷間へ下っていきました。そして、その時すで に、サラーフッディーンの方は軍隊をタバリーヤから引き上げ、ハッティーンの 丘に登らせていたのです。こうして、ヒジュラ暦583年ラビーウ・アル=アー ヒル月25日の土曜日の朝―西暦1187年7月4日―、ムスリム軍と十字軍と の間で、ハッティーンの戦いが始まったのでした。

 その戦闘はとても激しく、十字軍の兵士たちは激戦と酷暑に苦しみ、大敗北を 帰しました。兵士たちの多くが戦闘で死に、また多くが捕虜となりました。そし て、捕虜たちの先頭には、エルサレム王ギー・ド・リュジニャンと、アルナート などの十字軍将校たちがいました。サラーフッディーンはエルサレム国王を釈放 しましたが、誓いを守り、アルナートを処刑したのでした。

 親愛なる読者の皆様、次回はハッティーンの戦い後のサラーフッディーンの遠 征についてお話しましょう、インシャーアッラー。



筆者:リハーブ・ザハラーン

(2007年4月3日更新)

                

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