十字軍の歴史
 

【十字軍に対するジハード】


 読者の皆様、今日は、ヌールッディーン・マハムードについてお話しましょ う。
 ヌールッディーンは父の王国と統治権を継ぎ、また、十字軍に対するジハード (聖戦)も受け継ぎました。そのため、彼は統治者になると、敵を各方面から包 囲するために、イスラーム勢力を団結させる計画を立てました。そして、ダマス カスのセルジューク朝スルタンが死去すると、ヒジュラ暦549年―西暦115 4年―、ダマスカスを征圧し、同地を自らの拠点としました。

 そして、ヌールッディーンはエジプトに目を向け、自国にエジプトを統合した いと思いました。とりわけ、当時十字軍はエジプトをめざし、ファーティマ朝の 弱体化や混乱に乗じようとしており、また、エルサレム国のボールドウィン (ボードワン)国王も、軍隊を率いてエジプトへ進軍していたからです。
 その後ボールドウィンはカイロへ向かう途中で死去し、軍隊はエルサレムに戻 らざるを得なくなりましたが、エルサレム国の王座を継いだアモーリー国王は、 ファーティマ朝の宰相たちの政争に乗じて、エジプト侵攻を何度も試みたので す。

 そこで、ヌールッディーン・マハムードは、エジプトが十字軍の手に落ちるの を阻止するために、3つの遠征軍をエジプトへ派遣し、ヌールッディーンの指揮 官アサドッディーン・シールクーフと、彼の甥サラーフッディーンがその指揮を とりました。
 シールクーフはヌールッディーンのためにエジプトで大任を果たし、ファー ティマ朝最後のハリーファ(カリフ)、アル=アーディドの宰相になることがで き、それにより、ヌールッディーンの夢は実現しました。しかし、シールクーフ は彼の大望(聖地エルサレムの奪還)を実現するまえに亡くなったので、サラー フッディーンがそれを全うしたのです。

 次回は、インシャーアッラー、東方の鷲、サラーフッディーン・アル=アイ ユービーについて、また十字軍敗退と、イスラームの最初のキブラ(*1)にし て第3の聖地マスジド・アクサーがある聖なる地、エルサレムの奪還における彼 の役割について、お話しましょう。またお会いする日まで。

(*1:キブラはムスリムが礼拝に向かう方角。クルアーンの啓示によってマッ カに変更される前には、エルサレムがキブラだった。)



筆者:リハーブ・ザハラーン

(2007年3月20日更新)

                

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