十字軍の歴史
 

【第1回十字軍遠征】


 読者の皆様、今日は、東方イスラーム諸国への第1回十字軍遠征についてお話しましょう。

 第1回十字軍遠征は、まず始めに、西暦1096年4月12日、復活祭前夜の 土曜日に、修道士ペトルス(隠者ピエール)が指揮する一般大衆の進攻で始まり ました。それは、「民衆十字軍」と呼ばれました。しかしその遠征においては、 彼らの目的は達成されず、セルジューク朝ムスリムの手で彼らは敗退させられま した。

 しかしその後別の遠征がそれに続きました。それは西暦1097年のヨーロッ パ諸侯によるものでした。この遠征は多くの遠征に分けられ、そのそれぞれに異 なる指揮官や指導者がおり、また、それぞれの遠征が特定の目的を持っていまし た。この遠征において、彼らはムスリムに対して勝利を収め、シャム(シリア地 方)にいくつかの十字軍国家を成立させたのです。

 その最初の軍団を指揮したのは、ロートリンゲン公、ゴドフロワ・ド・ブイヨ ンと、彼の兄弟のボールドウィン(ボードワン)・ド・ブローニュでした。この 遠征は、東方に向けての十字軍最初の組織的遠征でした。この軍団はまずビザン ティン帝国に到着しました。ビザンティン帝国皇帝が遠征軍を丁重に迎えると、 ゴドフロワは皇帝に忠誠を誓い、皇帝は遠征軍に援助の提供を約束しました。そ れからゴドフロワは、第2軍団を迎えるべく、軍を率いて小アジア沿岸へと移動 しました。

 第2軍団は、ボヘモンドの指揮により、ノルマン軍のフランス人で構成されて いました。ボヘモンドもビザンティン帝国皇帝への忠誠を誓い、皇帝も援助の提 供を約束しました。

 第3軍団は、レイモンの指揮により、南フランスのプロバンス地方からやって 来ました。レイモンもビザンティン帝国皇帝に忠誠を誓いました。

 第4軍団は、ノルマンディー公ロベールの指揮により、フランス人で構成され ており、彼もまた、ビザンティン帝国皇帝への忠誠を宣言しました。
そして、これらすべての軍団が小アジア沿岸に集結し、ニカイヤ(*1)を包囲 したのでした。
(*1:ニカイヤはかつてビザンティン帝国の都市であったが、のちにルーム・ セルジューク朝の手に落ち、その首都となっていた)

 ヨーロッパ諸侯の遠征は、ルーム・セルジューク朝を敗北させることに成功し ました。そしてビザンティン帝国の軍隊の一部も合流し、小アジアへ侵入しまし た。彼らは、セルジューク朝を敗北させ、それからコンヤの町(*2)を奪取し ました。
(*2:ニカイヤが十字軍の手で陥落したのち、コンヤがルーム・セルジューク 朝の首都となっていた)

 十字軍はヘラクレイアで少し休息をとり、そこから二手に分かれました。タン クリードとゴドフロワの兄弟ボールドウィン(ボードワン)は本隊から分かれ、 小アジア南部のキリキヤへと向かいました。

 ゴドフロワとボヘモンドとレイモンの指揮によるもう一方の十字軍本隊は、北 東へと行路を取りました。
 こうして十字軍はシャム(シリア地方)をめざし、アンタキヤ(アンティオキ ア)東部にあるアル=アースィー川に到着しました。それにより、十字軍のシャ ムへの侵攻が始まったのです。

 それでは皆さん、次回はシャムの十字軍国家についてお話しましょう、イン シャーアッラー。またお会いする日まで。


筆者:リハーブ・ザハラーン

(2007年2月6日更新)

                

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