正統カリフ伝
 

【イスラームと開放された国々】
 

正統カリフ時代に多くの国々がイスラームにより開放されましたが、これらの国々の民衆はもともとペルシャ帝国もしくはローマ帝国の支配下にあり、支配者たちから抑圧され不当に税を徴収され、苦しい生活を強いられていました。一方、支配者たちはその民衆たちの上に胡座をかき、贅沢な生活をしていました。

ムスリムたちがこれらの両帝国の支配を崩壊させた時、ムスリムたちは民衆をイスラームで命じられているとおり、平等・改善・許容・全ての人と宗教に対する敬意をもって接しました。

不正は取り除かれ、安全と信頼が彼らの心・宗教・財産全てに対しもたらされ、これらのよい振る舞いは、多くの人々をイスラームとアラビア語の習得へと導きました。

正統カリフたちがイスラーム国家に新しくもたらしたことは、主に次のことです。

1−知識と教育とクルアーン教育の推進

イスラーム以前のアラブは読み書きをする者はごくわずかの者たちにかぎられていましたが、イスラームは知識と教育を重んじたためアラブ人の間に読み書きを普及させる要因となりました。預言者の時代には、捕虜たちには10人のムスリム子弟たちに読み書きを教えることが保釈金がわりとなっていました。またペルシャ帝国が開放された時にはカリフたちはペルシャ帝国から人々に読み書きを教えるための一団をつれてくるように命じました。これらのカリフたちは全員読み書きができ、彼らは預言者の書記としても働いていました。

また同様にクルアーン暗記にも力が注がれ、アブーバクルの時代にはウマルの提案によりクルアーンが一冊の本にまとめられ、またウスマーンの時代にはフザイファ イブン アルヤマーンの提案により、一つの読み方に統一するため、ウスマーンはアブーバクルが集めたクルアーンの増版を行い、のちこれらのクルアーンは「ムスハフ ウスマーン(ウスマーン本)」と呼ばれるようになりました。

2−諸都市の建設

カリフ ウマルは開放された幾つかの都市は開放軍の滞在に衛生面・軍事面から適さないと判断し、指揮官たちにそれらに適した場所を探させ都市・村・農地の建設計画を命じました。それらによって建設されたのが、イラクのアルクーファとバスラ、エジプトのアルフスタートでした。

3−イスラーム海軍の設置(造船)

ムアーウィヤはローマ軍全滅のためにイスラーム海軍の必要性を感じカリフ ウスマーンに許可を求めました。カリフはそれに同意し、同様にアブドッラーヒ イブン アビー アッサルフもエジプトに海軍を設置したため、エジプトとシャームに海軍ができました。

4−イスラーム国家の運営

・カリフに関して: カリフたちはシューラー制度にのっとり、サハーバたちと協議しました。また民衆に対しては平等に英知をもって接しました。あらゆることに関してクルアーンとスンナ(預言者の慣行)に返り、彼らは敬虔さ・清貧・公正・信仰心の強さという特徴をもっており国庫からは最低必要額しか受け取ることはありませんでした。

・地方統治者たちに関して: カリフはすべてのイスラーム地方都市に都市運営とイスラーム法の実行のための地方統治者を任命しました。カリフはこれらの者たちを非常に厳しく監視しました。

・裁判官に関して: カリフたちは地方統治者のほかに公正な・法的知識をもった・敬虔な者たちを裁判官として任命しました。また財政を管理する者も任命しました。

カリフ ウマルは財政管理の必要性を感じ様々なディーワーン(帳簿)の作成を命じました。

- ディーワーン アルハラージュ:
イスラームによって開放された土地にかかる 土地 税、ザカート(喜捨)・ジズヤ(人頭税)・戦利品など国庫収入の記録。
- ディーワーン アルジュンド:
兵士たちの名前と給与の記録。
- ディーワーン アルアター:
ムスリムたちの名前と個人に与えられる額の記録。

次回は正統カリフ時代のイスラーム国家における社会状況・経済状況について紹介したいと思います。


筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

                

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