正統カリフ伝
 

【4代目カリフ アリー】
 

アリーはその名をアリー イブン アビー ターリブ イブン アブドルムッタリブ イブン ハーシムといい、預言者のいとこにあたります。
彼は西暦601年、預言者生誕の約30年後に生まれました。

預言者が大家族であった伯父、アブー ターリブの家計を助けようとして幼いアリーを引き取ったため、アリーは預言者の家で育ち、正しい礼儀作法を躾けられました。
アリーは年少者たちの中で一番最初にイスラームに帰依した者で、常に預言者と共にありました。

彼は勇敢で、イスラームの知識に富み、アラビア語を流暢に話しました。
預言者のヒジュラ時には自分を犠牲にして狙われていた預言者の身代わりとなって彼の寝床にとどまりました。

マディーナに移住したのち、預言者はアリーに娘のファーティマを嫁がせました。
タブークの戦い以外の預言者が参戦した全ての戦いにアリーは参加しました。
アリーがこの戦いに参加しなかったのは、預言者がマディーナに残って家族の面倒をみるよう命じたからです。

また、アリーは啓示の書記たちのなかに含まれていました。
預言者がイエメンに彼を派遣したことからもわかるように、アリーは明確な言葉と法的知識の持ち主でした。またウマルは預言者の「アリーが最も法的知識をもっている。」という言葉を伝えています。

 

【アリーのカリフ就任】

ウスマーンが殺害された後、人々はモスクに集まりとても後悔しました。
するとアッズバイル イブン アルアウワームが「みなさん、アッラーはシューラーをあなた方に勧め、私たちはすでにそれを行い、アリーを後任者として選びました。さあ、彼に忠誠を誓いましょう。」と立ち上がり、人々はアリーに忠誠を誓うために立ち上がりました。

するとアリーは「それはあなた方に課されたことではない。それを決めるのはシューラーのメンバーとバドルの戦いの参戦者で、彼らに選ばれた者こそカリフとなるのである。」と言いました。人々は、ウスマーンの死後人々が分裂しないよう、アリーがカリフにならなければならないと囁きあい、「ムスリム間の反乱が起こらないように」とアリーに迫りました。アリーはそれに同意し、人々は彼に忠誠を誓いました。

アリーは誓約後、説教台に上り、アッラーに感謝し、彼を賞賛し言いました。
「人々よ、アッラーは善悪を明らかにした導きの啓典を下された。故に善を取り、悪を避けられよ。また義務も明らかにされた。アッラーの為に義務を遂行しなさい。そうすればアッラーはあなた方を楽園にお入れくださるであろう。またハラーム(禁じられたこと)もアッラーは不明な所なくお決めになられた。イスラームのハラームを全ての禁忌に優先させよ。タウヒード(アッラーの唯一性)とイフラース(アッラーだけに全てが行われること)はムスリムの義務である。ムスリムとは行為でも言葉でも真理に従う者である。ムスリムの生命は定められたもの以外にはそれを犯すことは許されない。公の務めには貢献し、また私的にはあなた方の死に備えられよ。あなた方の前には多くの人々が助けを待っている。あなた方の後ろには終末が警告を発して迫ってきている。アッラーを畏れ、崇拝せよ。あなた方は動物や土地について責任を負っている。超越したアッラーに従い、背いてはならぬ。そこに善を見るならそれを取り、そこに悪を見るならそれを捨てよ。あなた方が地上の弱者たちだった頃を思い出しなさい。」

この説教から、アリーが人々に預言者とともに過ごした時代に戻って、来世のために奮闘努力し、現世を退けよと言っていることがわかります。

しかしながら、ムスリムたちのある一団はウスマーン殺害に対する犯人たちへの刑罰の施行を最優先させるべきであり、それがなされるまではアリーには忠誠を誓わないとしました。このためこの問題に関して亀裂は深まり、ついにジャマル(らくだ)の戦い・スッフィーンの戦い・ナハラワーンの戦いが起こりました。これらの戦いの原因はあくまで「ウスマーン殺害者たちへの刑罰施行」であって、単なる政権争奪を目的とした争いではありませんでした。また人々がアリーがカリフの責任を担うに相応しくないという意見をもってたわけではありませんでした。ムスリムはアリーにも他のサハーバにも、同じアッラーの使徒の教友たちとして、愛情と敬意を抱いています。

ここでこの3つの戦いを簡単に紹介しておきましょう。

・ジャマル(駱駝)の戦い:このように名づけられたのは、信徒たちの母アーイシャが乗っていた駱駝が跪いたからです。この戦いの原因はこうです。アッズバイル イブン アルアウワームとタルハ イブン ウバイドッラーとアーイシャがバスラに旅立ち、そこでムスリムたちの声を一つにまとめようとし、アリーもそれに同意するためにバスラにやってきました。ところが策略者たちの陰謀により誤解が生じ、双方の間に戦いが起こり、アッズバイルとタルハは亡くなりました。その後アリーはアーイシャを丁重にマディーナまでお送りとどけるよう命じました。

・スィッフィーンの戦い:シャームとイラクの間に位置するスィッフィーンという土地でこの戦いは起こりました。これはアリーとムアーウィヤ率いる忠誠を誓っていない者たちとの間に起こりました。戦いは長引き、双方調停者を出すことになりましたが陰謀によりそれは失敗に終わり、アリーはクーファに、ムアーウィヤはシャームにそれぞれ戻っていきました。

・ナハラワーンの戦い:ナハラワーンはチグリス川東岸に位置する土地です。アリーが戻った後、彼の支持者たちはムアーウィヤと調停しようとしたことを非難しました。アリーはそれを宥めましたが支持者たちの一部はそれを認めず、やむを得ずアリーは彼らと戦うこととなりました。この戦いでアリーは偉大な勝利を収めました。

アリーは民衆を平等に統治し、クルアーンとスンナにそって、真理追究のためには非難にひるむことはありませんでした。
またアブーバクルやウマルと同様、被統治者の中には財産家たちがいたにもかかわらず、彼自身は使用人を買うための700ディルハムしかもっていなかったという清貧生活をしていました。

ですが問題が解決することはなく、これは当時の時代背景と陰謀家たちと政権を狙うものたちの存在によるところが大きかったということです。

次回はどのように正統カリフ時代が幕を閉じたのか、そしてどのようにアリーが亡くなったのかを紹介することにしましょう。


筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

                

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