正統カリフ伝
 

【カリフ ウマルの死】
 

ウマルがムスリム・非ムスリムで差別することなく、公平に人々に接したにもかかわらず、幾人かのペルシャ人(特に支配階級だった者たち)は、ウマルに対して憎しみを抱いていました。というのも、ウマルこそ彼らの地位を崩壊させた張本人だったためです。
 
ムギーラ イブン シュウバには拝火教徒の小姓がいました。その者の名はファイルーズ、あだ名をアブー ルウルアといいました。
ある日、ウマルはファジュル(日の出前の礼拝)の礼拝参列者たちの列を整え、礼拝を始めるためにタクビーラ(アッラーは偉大なりということ)をしたときのことです。

そこにアブー ルウルアがやって来て、短剣で幾度か刺しウマルは倒れました。
ウマルはアブドッラフマーン イブン アウフにイマームの後任を頼み、礼拝終了後、自宅に運ばれました。

ウマルはアブドッラフマーン イブン アウフと自分の息子を呼びつけ、息子には「外に出て私を刺したのが何者なのか調べよ。」と命じました。
すると息子は「信徒たちの長よ、アルムギーラ イブン シュウバの小姓のアブー ルウルアです。」と言いました。

それを聞いたウマルは、自分を負傷させたのがムスリムでないことに対し、アッラーを讃美しました。

アブー ルウルアは逃げ続け、13人の男たちを負傷させました。最終的には逃げ場がないとわかり自害しました。

ウマルは「後継者を指名しては?」と言われましたが、それに対しこう答えました。
「誰を後継者とするのか?もしアブー ウバイダ イブン アルジャッラーフが生きていたならば彼を任命した。もしそれに対してアッラーが私にお尋ねになられた時には、あなたの預言者が『彼はこのウンマ(共同体)の最も信用できる者である。』と、そしてもしアブー フザイファのもとで改宗したサーリムが生きていたならば私は彼を任命し、その理由は、預言者が『サーリムはアッラーを非常に愛している。』と言うのを聞いたからですと答えるだろう。」

するとそこにいた者が「アブドッラーフ イブン ウマルはいかがですか?」と言いました。

それに対しウマルは「死んでしまえ、アッラーに誓ってそれをアッラーに望んだことはない。私は自分自身を規制し、家族に対しても多くのことを禁じてきた。もし罪も報奨もないとしたら私はそれだけで満足だ。」と言いました。
そして「私より優れた者が私を任命し、そのものを任命したのは預言者であった。このようにしてアッラーは宗教を路頭に迷わさせなかったのだ。」と言いました。
サハーバたちはウマルがカリフ後継者を任命しないで亡くなることを恐れました。そこでウマルに再び提案したのです。

ウマルは預言者がこの10人は天国の住人であるとした吉報を告げられた者のうち6人を集め(ウスマーン イブン アッファーン、アリー イブン アビー ターリブ、アブドッラフマーン イブン アウフ、アッズバイル イブン アルアウワーム、サアド イブン アビー ワッカース、タルハ イブン ウバイドッラー)、さらに彼がカリフになることはないという条件でアブドッラーヒ イブン ウマルを加えた者たちで協議し、6人のうちからカリフを選ぶという方法を採りました。
そしてウマルは自分の死後3日以内にカリフを決定するように遺言しました。

こうしてヒジュラ暦23年ズルヒッジャ月にウマルは亡くなりました。
そして翌朝、アーイシャに許可を取った後に、アーイシャの部屋の預言者とアブー バクルのとなりに埋葬されました。

ウマルの統治は10年と6ヶ月にわたりました。
人々の間に公正さの基礎を確立させた、ウマル イブン アルハッターブにアッラーが慈悲を垂れますように。(続く)


筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

                

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