正統カリフ伝
 

【アブーバクルの功績】
 

1−クルアーンの編纂

預言者の時代、サハーバ(教友たち)はアルクルアーンの節が啓示されるたびに動物の骨やなつめやしの葉などにその節を書き留めました。また何人かのサハーバはアルクルアーンを暗記していました。
多くの暗誦者のサハーバが殉教した後、ウマル イブン アルハッターブはアルクルアーンが失われることを恐れて、アブーバクルにアルクルアーン編纂を提案しました。
そこでアブーバクルは啓示記録者の1人であったザイド イブン サービトと幾人かのサハーバにアルクルアーンを集め一冊の本に編纂することを命じました。
アブーバクルはアルクルアーンをムスハフ(ページからなるもの)と名づけた最初の人でした。

2−ウサーマ イブン ザイド率いる軍の派遣

アブーバクルは、預言者の命令により派遣されたものの、預言者の病気の悪化により進行を一時停止していたウサーマ軍を再び派遣しました。当時ウサーマは18才という若さでしたが、勇敢な将軍でした。

3−背信者たちとの戦い

ムルタッディーン(背信者たち)とは彼らの心にイーマーン(信仰心)が確立していなかった者たちで彼らのうちの幾人かが自分たちの預言者性を口にしだしたのです。またある者たちは、イスラームの第3の柱ともいえるザカート(喜捨)の義務を、預言者が生存中はその義務を果たしていたにもかかわらず、果たさなくなりました。
アブーバクルはアラビア半島各地にムルタッディーン討伐のための11の軍を派遣し、それぞれの軍のリーダーに彼らがカリフに忠誠を誓うこと、さもなければ戦闘が起こることを呼びかけさせました。

これらの軍の中で最大規模だったものはハーリド イブン アルワリードの軍で、最も危険だといわれていたトゥライハ アルアサディー、マーリク イブン ヌワイラ、ムサイラマ アルカッザーブを打ち負かしました。

4−当時の2大強国であったペルシャとローマへの軍の派遣

これはイスラームの布教のために行なわれました。その中でも特に重要だった戦いは、ペルシャとムスリム軍の間に起こったカーズィマの戦いです。この戦いはハーリド イブン アルワリードを指揮官としたムスリム軍とペルシャ軍との戦いで、この戦いでムスリム軍はペルシャ軍を打ち負かしました。

その後ハーリドは、カリフであるアブーバクルの命令で兵をシャーム地方のローマ軍へ向けました。アブーバクルはシャーム開放のために4つの軍を送りました。
アブー ウバイダ アーミルの軍をヒムスへ、ヤズィード イブン アビースフヤーンをダマスカスへ、シャルハビールをヨルダンへ、アムル イブン アルアースをパレスティナへと派遣しました。

またヒジュラ暦13年にはアジュナーディーンの戦いが起こり、その中でムスリム軍はローマ軍を敗北させました。


アブーバクルの死

ヒジュラ暦13年ジュマーダルアーヒラ月7日(西暦634年8月8日)アブーバクルは高熱を患い、日に日に病状は悪化していきました。
そこで人々の礼拝を先導する役をウマル イブン アルハッターブに任せました。
アブーバクルは自分の後を引き継ぐのはウマルしかいないと考え、確実にウマルが後任として相応しいかを見届けるためムハージルーンとアンサールからなるサハーバたちに意見を求めました。

すると全員一致でアブーバクルの意見に同意し、またウマルを褒め称えました。
アブーバクルはウマルのカリフ後任のための準備を進め、ウスマーンを呼び、次のように書き取らせました。

「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において。これはアブーバクル イブン クハーファがムスリムたちへの遺言としたものである……」
それからアブーバクルは意識を失い、ウスマーンは次のように書きました。
「私はウマル イブン アルハッターブを自分の後継者とする。彼は素晴らしいムスリムの一人である。」

その後アブーバクルは意識を取り戻し、言った。
「書いたものを読みなさい。」
そしてウスマーンが読み上げるとアブーバクルは「アッラーは偉大なり!」と言い、続けて言った。

「私の死後に人々が相違することをおそれたのだな?」
するとウスマーンは「その通りです。」と言いました。
アブーバクルは「イスラームとその民に関して…アッラーがそなたに良いものをもたらしますように。」と言った。

そして遺言を読み、その後ウマル1人を呼びつけ、言った。
「私はそなたを自分の後継者とし、アッラーを畏れる事をそなたへの遺言する。アッラーのもとには、夜に行なわれるべきことで決して昼には受け入れられないものがある。またその逆も然り。アッラーは義務を果たしていない者のナフル(任意の崇拝行為)は受け入れない。善行のはかりが審判の日に重くなる者は真理の道を歩んだためだ。また善行のはかりが軽くなる者は不義の道を歩んだためだ。
アッラーは天国の住人たちに彼等の最もよい行為を述べ、彼らが犯した過ちについては見逃された。アッラーが私を彼らの一員としませんように(地獄の民としませんように)。

アッラーは慈悲と罰のクルアーンの節を読み、しもべがアッラーに希望をもつとともに彼を恐れるようにした。そしてアッラーに真理のみを求め、自らの手で自分を滅ぼさないようにした。

あなたが私の遺言を守れば死はあなたにとって待ち遠しいものとなるだろう。もし守らなければあなたは死を非常に嫌うだろうが死から逃れることはできないのだ。」

このようにアブーバクルの遺言はウマルに為されました。

ヒジュラ暦13年ジュマーダル アーヒラ月11日(西暦634年8月22日)一代目カリフであるアブーバクルはアッラーの慈悲の許へと旅立っていきました(亡くなりました)。

葬儀の礼拝が行なわれ、彼の遺体は預言者のとなりに埋葬されました。彼の統治は2年と3ヶ月と10日でした。

さて、次回は最も公正な者と言われたカリフ ウマルの紹介となります。果たしてウマルはアブーバクルの遺言を果たしたのでしょうか? 次回をお楽しみに!

筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

                

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