正統カリフ伝
 

【カリフとは】
 

読者のみなさん、これからイスラーム国家創立者である預言者ムハンマド(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)の死後、その後を引き継いだ正統カリフたちがどのような道を辿ったのか…というお話を簡単に紹介していきます。

イスラーム国家の支配に関して、正統カリフたちが歩んだ道を通して、真理とイスラームの基礎を皆さんにご理解して頂ければ…と願っています。
それではまず、イスラームにおける「カリフ」という言葉の意味を簡単に紹介していきましょう。

ムスリム(イスラーム教徒)たちは、彼らの指導者を指す言葉として、「カリフ」あるいは「カリフ職」あるいは「イマーム」という言葉を「王・君主・キスラー(古代ペルシャの皇帝の呼び名)・カイサル(古代ローマの皇帝の呼び名)」という言葉に替わって用いました。

「カリフ」は宗教の擁護・その規則の実施・それに沿った政治を行なうことにおいて、イスラームの律法者の代理人・後継者といえます。ムスリムたちは預言者ムハンマドの後継者としてイスラーム国家の政治を担う者を選び、「カリフ」という存在が彼らのもとに確立されました。

アルクルアーンには預言者ムハンマドの後継者をどのような方法でもって選ばなければならないのか…ということは明確には記されていません。また預言者ムハンマド自身も自身の後継者選択に関して特別な方法を明らかにすることはありませんでした。

ですからムスリムたちは、アルクルアーンがムスリムとは「互いに物事を相談しあって決める者」と述べているとおり、一般的にイスラームで決められている物事の取り決め方である協議「シューラー」という制度によってカリフを選びました。
イスラームは、シューラーとイスラーム法にのっとった言論の自由を呼びかけており、自由な発言の禁止に反対しているわけではありません。

ムスリムたちはカリフ選出において次のような方法を採りました。

第1の方法:助言による選出。

この方法によって、1代目カリフとしてアブーバクル アッスィッディーク(アッラーよ彼を嘉したまえ)が選ばれました。預言者ムハンマドが亡くなった翌日、アルアンサール(預言者がマディーナへ移住した時に彼を迎えたアルマディーナのムスリムたち)たちは預言者の後継者問題について話し合うためにサーイダ家のひさし庇つき通路に集まりました。アルムハージリーン(マッカからの移住者たち)のアブーバクル、ウマル、アブーウバイダ イブン アルジャッラーフはムスリムたちの間に分裂が起きることを恐れ、彼らのもとに急ぎました。その後の話し合いでアブーバクルがカリフに選ばれました。

第2の方法:カリフによる後継者の推薦。

この方法は、アブーバクルが彼の次のカリフとしてウマルを選んだ時に行なった方法です。アブーバクルは自分の後継者として、宗教に関してもっとも厳しく、最も公正だったウマルを選びました。これはアブーバクルがサハーバ(教友たち)たちに意見を聞き、彼らがウマルを賞讃した後に行なわれました。

第3の方法:協議による選択の方法。

これはカリフ存命中にカリフが数名を選び、その中からカリフを選ぶというやり方です。この方法によってウスマーンがカリフに選ばれました。

この3つの方法のどれが特に命じられているということはありませんが、基本法則は「協議と民主的な方法による」ということです。
 
カリフはアルクルアーンとアッスンナ(預言者の教え)、イジュティハード(アルクルアーンとアッスンナにのっとった推論)と学者たち・法学者たち・有権者たちの意見を参考にするという範囲内でムスリムたちを統治します。

預言者ムハンマド死後、ムスリムたちの統治者となったのはサハーバたちの中でも最も徳の高かった
1−アブーバクル アッスィッディーク、
2−ウマル イブン アルハッターブ、
3−ウスマーン イブン アッファーン、
4−アリー イブン アビーターリブでした。

彼らの徳の高さとイスラームのために成し遂げた功績によって、また信仰心の篤さと賢さによって、彼らは「正統カリフ」と呼ばれました。

それでは次回は1代目カリフ アブーバクルと彼がイスラームのために成し遂げた偉大な功績を紹介していきましょう。
それでは皆さん、お楽しみに…。

筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

                

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2004年 アラブ イスラーム学院