イスラーム建築
 

【世界のマスジド】
 

アルマスジド・アルカビール(マリ・ジェンネ)
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アルマスジド・アルカビール(マリ・ジェンネ)
マスジド・ブラジーリア(ブラジル・ブラジリア、著者撮影)
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マスジド・ブラジーリア(ブラジル・ブラジリア、著者撮影)
東京ジャーミィ(写真提供:同ジャーミィ)
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東京ジャーミィ(写真提供:同ジャーミィ)
以上で伝統的なイスラーム地域をカバーすることが出来ました。かなりこれだけでも長い旅路になりました。でも本当は、これ以外に世界の他の地域、すなわち欧米、南米、ブラック・アフリカ、東南アジア、中国、日本などにも、マスジドは広がっているのが実情です。だからこそ、後四分の一世紀もするうちに、世界で四人に一人はムスリムだと言うことになると予想されています。

ここではそれらについては、ほんの少し概観を得ておきたいと思います。それは視野を押し広げるだけではなく、現代マスジドという意味では、これらの地域で相当の動きが見られるからです。そして世界的にはマスジド建設はそれぞれの土地柄を反映しつつも、同時に国際社会全体の相互影響を通じて、一つの新しい風潮を生み出しつつあるということも見て取れるかと思います。

1.欧米
車で走っていてもすぐに目に付くので、ロンドンの中央には、25米の高さで燦然と金色に輝くドームがあることをご存知の人も多いことでしょう。金曜日にはこのリージェント公園マスジド(1977年完成)に、ムスリムが溢れています。このような場所柄からして、その実現に向けては大変な議論と交渉が背景にあったことは、想像に難くありません。一番の交渉材料は、カイロにおいて英国教会用の土地をエジプト政府が無償供与したことでした。しかしイギリスで大規模なムスリム・コミュニティはロンドンだけではなく、北部のバーミンガムにも大きなものがあり、同地のムスリム自身の自助努力で、マスジドや幾つものムサルラーが建造されています。他方小さなムサルラーならば、例えばロンドン大学などの中にも設けられているくらいに、イギリス内によく見かけられる一つの常識的な施設になってきたと言えそうです。

またアメリカではミシガン州が、最大のアラブ・ムスリム・コミュニティだそうです。それから欧米の飛行場などでは、ムサルラーが設けられているのは常識です。またマスジド建築として注目されているのは、小さいながら、米国南西部のニュー・メキシコ州に、土地の伝統であるメキシコ風のアドービ建築に、アフリカ・ヌビアの粘土方式を合わせて設計された、ダール・アル・イスラーム・マスジド(1980年完成)です。有名なサンタフェに近い所ですが、周囲の環境は砂漠と潅木です。しかしその自然が中東に似ていると言うことが、選択の理由のひとつであったそうです。設計はアルワリードの恩師であったエジプト人ハサン・ファトヒーでした。北米におけるムスリムの活動拠点作りの一環ですが、当時のサウジアラビアのハーリド国王も資金的に支援しました。またインディアナ州には、北米イスラーム協会がありますが、その本部マスジド(1983年完成)もほとんどマスジドとは分からなほどの赤煉瓦造りの現代的デザインにして、ムスリムの自助努力で建設されたものです。伝統のドームもミイザナもありません。設計はパキスタン出身のグルザール・ハイダル氏で、彼は北米のマスジド設計では第一人者に目されています。他方首都ワシントンのマスジド・アルマルカズ・アルイスラーミー(1957年完成)は、上に触れたロンドンのマスジドと並ぶ、代表的なイスラーム地域外のマスジドとみなされています。事実ロンドンでの進展振りがワシントンのムスリム社会にも刺激になったそうです。これは極めて古典的なミイザナを持っており、外の壁もアーチで仕切られると言う伝統方式です。このような公式の場といえるものは、本国政府の肩入れと外交団の関与により、その予算や土地獲得に乗り出した結果、成就したものです。

これら以外に、イタリア、スペイン、フランスやカナダなど、新しいマスジドがムスリム・コミュニティ自身、あるいはサウジなどイスラム諸国や個人の拠金により、相当数建設が進められています。

2.アフリカ
サハラ以南のいわゆるブラック・アフリカのことは、一般に日本ではまだまだ知られていません。でもイスラームの伝播という意味では、ごく初期より主として通商路に重なる形で、浸透して来ました。現在もイスラーム前線は南下中です。西部方面では現在のギニア、マリ、ナイジェリア、ニジェール、そして東部方面では、エチオピア、ウガンダ、ケニア、タンザニアといった当たりです。東部方面では湿気が高いことや、歴史的に大きな政治権力が多くなかったことなどから、めぼしいマスジド建築は限られています。

それに比べると、前者の西側の諸国におけるマスジドは、顕著な特徴を発揮するほどに発達しました。最大の特徴としては、建物の外観は巨大な粘土の塊のような印象を与える形状をしていることです。もしご存知なら参考になるのは、上に触れたメキシコの伝統的な赤粘土造りの、アドービ建築と非常に良く似た建て方であり、その印象もそっくりです。素材は、文字通り土色の粘土と中の柱になる木材、あとは椰子の葉と土で天井を固めて覆ってあるくらいです。

その中で代表的とされるものは、現在のマリ国のモプティやジェンネと言うニジェール川沿いの街にあるアルマスジド・アルカビールです。前者は少しさかのぼりますが、1935年に建設されました。同地は川沿いに内陸部へ入ろうとする、フランスによる植民地支配の橋頭堡に当たるところでもありました。高さ20米以上はある柱が外壁を囲いながら、大空へヌーと伸びていますが、それらはすべて泥固めの柱です。左右に2本あるミイザナらしきものも、泥固め。これらに囲まれたその姿は、子供の粘土細工か海岸の砂細工のような純朴さで、見る人に訴えてきます。内部の構造も列柱の並ぶ広間があるというだけです(写真はジェンネで、世界遺産に指定されました)。

この単純な様式は、少し宇宙の異邦人の建てたもののような気分になります。同時にその簡潔さは、イスラームの草創期の気運にも通じるものがあるのではないかと思わせます。またイランのような芸術品というわけではないのですが、なにか超近代の美術品を見るような気にさえさせてくれます。

これ以外にも細かく見れば、同じ西アフリカでもいくつかの流派がありますが、以上の純朴さはそれら現代マスジド全体の共通項です。粘土と椰子の木以外の高価な材料を使えないという経済事情も関係していたことは間違いありません。しかしそれが結局は、簡素さと清貧さからのみ出てくる美しさを引き出しているともいえます。ただ雨風に流されるので外壁の表面を時々塗り替えるような手間な作業をする必要があるのですが、それも地域社会の楽しい共同作業のように見受けられます。また欧米などと比べると、設計者の名前や、建築材料、工事人夫の数、予算高の数字などの情報が急に消えてなくなるのも、なんとも素朴な印象を強めます。西アフリカの中でもアラブの最果てというようなモーリタニアに、著者は2回訪れる機会を得ました。彼地でも、アーザーンの響きは絶えませんでした。しかしマスジドの建て方は粘土を固めたヌビア方式ではなく、日干し煉瓦を積み上げて、それを白のペンキで塗りこめた、サハラ砂漠によく見る方式でした。これも生活のぎりぎりのところで許される建築方式なのでしょう。

3.中国
中国にイスラームが到達した初めは、海のルートで7世紀半ばだったとされていますから、実に早い段階だったわけです。しかしムスリムの数の上では、現在の中央アジアと接する新疆省を中心にイスラームへの改宗が進んだのが、一番急増した原因でした。この伝播の二つのルートは、中国におけるマスジドの建築様式を二分する原因にもなりました。中央アジアのものは、すでに取り上げたチムール朝以降の流れを汲むものですから、ここではそれ以外の中国内部のものを見てみましょう。そうは言っても、北は瀋陽から南は広東、そして西は西安、そして中央に北京、南京、上海などを含む広大な土地が舞台になります。北京だけでも、現在マスジドの数は約60に上るとされています。

中国ではマスジドは清真寺と呼ばれています。ことの性格をうまく捉えた名訳ではないでしょうか。感心させられます。まだ現代建築として特に注目されているものはまだありませんが、中国の伝統的な清真寺建築を見ると、文字通り土着化の結晶です。すぐ上に見た、ブラック・アフリカもそうですが、マスジド建築は在来の建築様式に助けられて進めざるを得なかったという、絵に描いたような事例を清真寺は提供しているのです。木造で白壁、そして黒い瓦屋根といえば、日本人なら誰でもすぐにその姿を思い浮かべることができます。そうです、それは建物全体としては、仏教の寺院建築とさほど変わらないのです。

中国マスジドで最大にして最良の典型とされる、西安の清真寺を著者も訪れたことがあります。その区域に近づくと、すでに羊肉の匂いがしたので驚きました。一度に中東を思い起こさせられたからです。その清真寺は1392年、明朝時代の建造で、すべてが木造りです。しかし250米×50米の敷地に整然と、ミイザナ(八角形の三重の塔)、礼拝堂と並んで、キブラの方向に向けて配置されていました。門構えも立派でなかなか風情がありました。何よりも、下手に中東振っていないところが、むしろ好印象を与えます。堂内にある貴賓客のサイン帳には、パキスタン大統領の名前など相当な人の署名もありましたが、ただし決して観光化しているわけではありません。 

4.東南アジア
東南アジアもしっかりマスジド建築の独自の様式を誇っています。現在それらには、三種類あると分類されます。

まず最初には、大量の雨をさばくための、伝統的な多層の屋根を採用したマスジドが、本来の東南アジア様式と言われるものです。この屋根の様式は、タイの仏教寺院でも、おなじみでしょう。世界最大のムスリム人口を持つインドネシアではこの様式で、1977年にジャカルタにマスジド・サイド・ナウムが建てられました。これは1986年のアガー・カーン栄誉賞を建築部門で受賞しました。インドネシアのマスジドは伝統的にミイザナを持っていません。ジャカルタのインドネシア大学やバンドンの技術学院の構内にも、それぞれ多層の屋根を持つ現代マスジドが建てられました。またシンガポールでは、人口の15%ほどがマレイ人でムスリム人口の大半を占めますが、20近くのマスジドが建設されています。その中のマスジド・ダール・アルアマーンは多層の屋根を持つ様式で建設されました。1978年、このマスジドはシンガポール建築家協会により、伝統的様式に現代風をうまく取り入れた見本である、として表彰されたほどでした。

次はインド風の様式で、これが東南アジアの第二のマスジド建築様式です。インドネシアのバンダ・アチェにあるマスジド・バイトルラハマン(1881年建設)は、立派なインド様式で創られました。このたびのインドネシア沖大津波で同地域は破壊的な被害を受けたわけですが、このマスジドは少し高台にあったため、幸いその被害からは免れることが出来ました。またマレイシアのクアラルンプール市中にある、ジャーミゥ・マスジド(1897年建設)は、紅色と白色の横縞文様の瀟洒なものですが、同地を訪れた人は一度ならず目にされたことでしょう。インド風に玉葱型になった白亜のドームは、御伽噺の世界のようです。それからさらにインド様式の現代建築に属するものとしては、1958年完成のブルネイのマスジド・オマル・アリー・セイフッディーンを挙げておきたいと思いま。設計はなんと、イタリア人です。50米に達するドームを持つこのマスジドは、インド・ムガール朝の様式を踏襲していますが、池に囲まれたセッティングで、国を代表するに相応しい威容を誇っています。

最後の東南アジアの様式は、土地柄を反映しつつも基本的には現代風の建築です。その代表例の一つは、10万人を収容するジャカルタにある独立マスジド(1955年以来の議論を重ね84年完成)です。またクアラルンプールの国家マスジド(1965年完成)も挙げられます。マレイシアはイスラームを国家統一推進のために意識的に活用しようとして、13ある藩の多くで国家マスジドの 建設が進められました。そしてこれらはその後、アラブ・中東で国家マスジド建設をする始まりでもあったとされます。クアラルンプールのマスジドの大きなドームは、マレイシアの伝統的な象徴である日傘のデザインになっているのが特徴です。パキスタンのシャー・ファイサルマスジドにはテントの形状を模ったドームがあり、スーダンのマスジド・アルニーレインには球形アンテナの様なドームがあったことを思い出します。技術の発達は、このように大型のドームにデザインの自由を与えたことがはっきり読み取れるのではないでしょうか。ところが他方では、同じクアラルンプールに建てられたマスジド・アブー・バクル・アッシッディーク(1982年完成)には、ジェルサレムの岩のドーム・マスジドに似た金色のドームが輝いています。

5.中南米
イスラームとの関係で一番注目されていないのは、中南米でしょう。ほとんどの参考文献で、一行も言及されていません。

中米は圧倒的にローマ・カトリックが強い土地柄です。昔アフリカから同地へ連れてこられた奴隷の中にムスリムがいたことが、たとえばトリニダード・トバゴなど、中米にマスジドが建てられてきた背景です。

南米にはレバノン人など移民のアラブは少なくないので、著者も各地にマスジドを見受けました。ブラジルのサンパウロ州の州知事はレバノン出身者というくらいに、幅を利かせています。サンパウロ郊外には二つマスジドがありましたが、アズハル大学出身のイマームが、少し退屈だと言いながらいつも頑張っていました。また首都のブラジリアにも壮大な現代建築のマスジド・ブラジーリアが一つあります。しかし広大な大地に建てられている建物はどれも壮大ですから、そのマスジドだけが特に目立つ存在というわけではありません。ブラジル全国には約25のマスジドがあり、またムスリム諸団体の数は約50に上り、教育、慈善、伝教など様々な活動を行っています。アルゼンチンのブエノスアイレスでも、少し古い建物ですが、やはり移民のムスリム・コミュニティを背景として、マスジドはしっかりミイザナを大空に突き出していました。

6.日本
わが日本で記録上最初のマスジドは、日露戦争の捕虜となったロシア兵が大阪の泉大津で1905年に営んだものだそうです。ですから本年2005年は、その百周年に当たるわけです。ついでは、1935年、インド商人の肝いりで神戸マスジドが建設されました。この建物は、太平洋戦争の空襲も、1995年の阪神大震災も生き延びたという、すでに歴史の殿堂入りも近いものになってきました。そして1938年には東京ジャーミィが、トルコ政府とイスラーム諸国の後押しを得て、代々木に完成しました。そしてその建物の老朽化に伴い、2000年6月新築開所式が行われ、トルコ宗教大臣他ムスリムの著名な指導者が列席したのは、先日のことのようです。

その間、北海道から沖縄まで、日本全国のマスジドやムサルラーはいくつに増えたのでしょうか。40から50くらいはあるのではないでしょうか。東京近郊だけでも、20はあります。著者としては、もっと主要なホテルや、飛行場などにはムサルラーを設けるように配慮されてしかるべきではないかと思っています。それが一つの国際的なスタンダードになりつつあるからです。因みに日本でムスリムを案内するときに一番困るのが、このスペースを見つけて、キブラの方向を確認することでもあります。

最近の動きとしては、日本ムスリム協会を推進役として、日本人によるマスジド建設のための基金がスタートしたと言うことです。まだ始まったばかりで、建設の予定確定までには相当時間が掛かるそうですが、21世紀の世界の流れにマッチしたマスジドの建造が期待されます。

以上世界のすべてが、メッカに向かって跪くのかと思い巡らすだけで、気が引き締まる感じがします。まさしく真実の迫力です。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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