アラブ マイ ラブ
 

【フランスのアラブ人学生たち(3)】
 

クラスメートのアルジェリア系フランス人Rは男子で最年少の16歳。中学を卒業してすぐ、兄が学んでいるこの学校に来た。

彼もまたアラビア語クラスの個性的な面々に劣ることなく、ユニークなやつだった。16歳とはいえ図体がデカく、既に身長は180cm位、体重は100キロに達していたと思われる。顔もアジア的視点から見ると実際の年齢よりかなり老けて見えたが、中身はやはり年相応に幼かった。いつも落ちつかなそうに巨体をリズミカルに揺らしているので、一部の者たちは彼を「黒人ラッパー」とあだ名を付けたりしていた。また彼の口調はどこか甘えん坊っぽく、いつも言い訳がましいような響きがあった。16歳なのだからそれでもおかしくはないが、体も声も完全に成人しているので、そのギャップもあって時々苛つかされたりした。見た目が大人のアラブ人「クレヨンしんちゃん」が、太い声のフランス語で喋るのを想像してもらえると分かりやすいかもしれない(ちょっと想像するのが難しいか)。彼は10人兄弟の末っ子ということもあり、いつも誰かに構って欲しくて人から人へと渡り歩くのだったが、かわいそうに誰も彼の「お守り」をしたがらないのだった。

ある時彼はクラスメートのトルコ人Sとケンカした。彼は年齢の近いトルコ人たちと仲良くなりたがっていたが敬遠され、彼らの仲間内に入れないことが分かったので、それ以来彼らのことを嫌いだ、と言うようになっていた。しかもトルコ人たちは成績優秀な上、Rの奇妙な癖を真似たりして馬鹿にする傾向があった。そんな中で起こるべくして起こった発火。皆でケンカを止めたが、その時民族の派閥を見た思いがした。ケンカの原因を探したり公正に2人を分けたりする前に、アラブ人は問答無用でRを庇い、トルコ人はSを庇ってRを非難した。これは良くない。僕はというと、Rに対して同情的ではあった。彼は何といっても無垢だったし、純粋に仲良くなりたがっていたのだが彼らはRを笑いものにしていたので。

シャトーシノンの日々においてRが原因で起こった問題は何件かあったが、その中の一番最たるものが「コンピューター事件」だった。

Rはある日イタリア人のクラスメートMから、不要になったコンピューターを安く売ってもらう約束を取り付けた。コンピューターを勉強したがっている彼の姉にプレゼントしたいらしかった。しかしイタリア人Mは約束したRを差し置いて、コンピューターを別の者に売ってしまう。Rは当然怒り、皆にその不正を訴えて回った。イタリア人Mは僕と一番仲が良い弟分のような存在であり、この件について僕は彼を咎めた。しかし話を聴いてみると、この事件にはちょっと裏があった。Mが言うに、モロッコ系フランス人の学食調理人が何人かの連れを伴って突然彼の部屋に押しかけてきて、彼に無理やり金をつかませ、ほぼ奪うようにコンピューターを持ち去って行ったのだという。そしてその黒幕は、どうやらシリア系ドイツ人の不良ドラ息子Tらしかった。Tは例のコンピューターをRが欲しがっていることを知った上で、例の調理人にコンピューターの話を持ちかけ、Rを出し抜くようそそのかしたようだった。このTは金持ちの息子なのだが素行が悪いことで有名で、学校のトラブルメーカー的存在だった。

誰もRの「駄々」を聞かなかったが、僕はRの援助のために奔走した。不親切な学校の職員は請合ってくれなかったが、クラスの担当教師B先生は同情してくれた。シャイフ(宗教的知識に優れた人物)Hにも相談したが、彼はこの一連の行いを「許されないことだ」とした。しかし誰もこの問題に積極的に関与しようとはせず、当のモロッコ系調理人及び他のモロッコ系学生たちはRを「子供みたいな真似はやめろ」「いい加減にしとけよ」と脅すようなことを言ってきた。同じアラブ系の間にもアルジェリアとモロッコで派閥が働くようだった。僕は彼らと直接交渉したりすることは避けて隠密に行動していたが、きっと彼らはその事を知っており、僕のことも疎ましく思っていたに違いない。人々は「たかがコンピューターで!」と笑ったが、僕にはそうは思えなかった。大事なのは信頼、約束、公正といったことであり、それはごく些細なものであっても、例え相手が取るに足らない人物であっても、見逃されてはいけないと思っていた。いや、小さい次元だからこそ重要視しなければならないのではないか、と。

Rはついに皆の前で「僕はお姉ちゃんにコンピューターをやることを約束したんだ!僕の威信(という言い方をした)は丸くずれだよ!」と言って、泣き出してしまった。かわいそうなR。この時初めて、皆はそのコンピューターがRにとってどんなに重要な意味を成していたのか気付いたのだった。

その晩、非常に非常に不可解なことが起こった。
早朝3時頃である。例のドラ息子Tが叫び暴れる大きな声で、寮中の皆が目を覚ました。特に僕の部屋は彼の部屋のすぐ隣だったので、真っ先に異変に気付いた。何でも彼は昨夜あたりからちょっと奇妙な状態に陥っていたのだという。「悪いジン(精霊のようなもの)」に憑かれたのだ、と人々は言った。

暴れて部屋を飛び出した彼は取り押さえられ、学生のリーダー格や先生たち、シャイフもやって来て彼の周りでクルアーンを朗誦し出し、「お祓い」を始めた。そういや昨日の夕方頃、Tが「ジンにとり憑かれて痙攣を起こしている」という話を聞いたが、てっきりふざけているのだと思い、耳にも入れなかった。しかし思い起こしてみると、昨夜あった会合で友人に支えられるようにしてやって来たTを見たが、その時の彼の顔はとても蒼ざめた気色の悪い表情だった。無表情で、それでいて少し微笑みを含んでいるような、何とも形容しがたい表情が思い出される。そして光のない洞窟のような眼!廃人のような、ポッカリとした眼…。確かに彼には何かが起こっていたのだった。

僕と一緒の部屋に住んでいたRもノロノロと起き出してきた。「何があったの?」と言う彼を見て、もしかするとTの陥った状態は、Rに対して行った悪行と果たして関連があるのではないか、という考えが頭をよぎった。コンピューターやテレビの備わった豪華な1人部屋に住んでいたドラ息子Tだが、僕は常々彼の部屋のあたりに何か不吉さ、危うさのようなものを感じ、一度もそこに足を踏み入れたことがなかった。クルアーン念誦が響く中でいろいろなことが脳裏に浮かび、またオカルティックな雰囲気に僕の神経は研ぎ澄まされ、その晩はなかなか寝付くことが出来なかった。

Rの執念深さは相当なもので、その後も一週間ほどに渡り、援助を嘆願して職員室や教務のあたりを巨体を揺さぶって徘徊する彼の影が認められた。さしずめシャトーシノンの亡霊である。結局コンピューターはRの手に入ることはなかったが、Rは学校で起きたことを逐一家族に報告したので、僕は彼の家族から非常に感謝された。そして後日アンジェの近くにある彼の家へ招かれ、色々なおもてなしを受けてしまった。ちょっと浦島太郎風。
尚、「とり憑かれた」Tはその後退学して帰国した。

次号に続く…


執筆:サイード佐藤
アラブ イスラーム学院 卒業生


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